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自然風景写真の在り方

自然風景写真の在り方

自然風景とは何か

自然風景の写真とはどうあるべきか。

写真を始めてからというもの、常々考え続けてきた問題だ。 言うまでもなく絶対的な答えがあるものではないのだが、自分なりに目指す方向性について少し書いてみたい。

自分が考える自然風景写真

ヌプツェと彩雲

自分にとって自然風景写真とは一体なんだろうか。 自然風景写真と一口に言っても明確に定義できるものではない。 考え方も人それぞれだし言葉にするのは難しいが、自分ではそこにあった光を自然な状態で表現したものだと考えている。

風景とはすなわち光だ。 この世界に存在する様々な物体に反射した光、あるいはそれらが発した光を目が感じ取り、それを人間は風景として認識している。 その光の波長や光の強さが色やコントラストを作り出している。 そしてその光をフィルムやセンサーで写し撮ったものが写真だ。

であればその光の状態こそが、自然風景の写真では最も重要となるはずだ。 明るい部分は明るく、暗い部分は暗く、程々の明るさの部分は程々に。 鮮やかな色は鮮やかに、くすんだ色はくすんだままに。 ただそこにあった光が作り出した風景をできるだけ忠実に表現したものが自然風景写真だと思っている。

自然風景を撮る目的

そもそも何のためにその自然風景を写真に撮るのか。

自分にとってそれはその光景が本当に存在したのだと証明するためと言えるだろうか。 こんな風景が本当にあったのだよ、と。 それが一瞬のことであろうと、肉眼では見えずカメラでしか写し撮れないものであろうと、その光景がそこに確かに存在したのだ、と。

世に出回る不自然な自然風景

SNSなどを見ていればわかるが、世の中に出回っている写真の多くは美しく見栄え良く丁寧に加工が施されている。 より鮮やかに、よりくっきりと、より印象的に。 そうして加工された写真は、一枚の絵として見れば確かに美しいものが多い。

だがそうした写真に自分は魅力を感じない。

もちろんそれらを公開している人間も別に皆が皆自然風景に拘っているわけではないだろう。 単に綺麗な絵を作り上げてそれを見てもらいたいという人は多いと思う。 それはそれでひとつの方向性なので良いだろう。

しかし中には「こんな風景を見た」と言っているにも関わらず過剰に加工した不自然な自然風景を公開している人もかなり目立つ。 あなたは本当にその風景を見たのか、と。 それはもはや自然風景の写真を素材としたCGだろう、と。

自然風景とは「あるべくしてある」もの

本来そういった加工の影響を受けず、ただあるべくしてあるからこそ自然風景と呼ぶのではないだろうか。

少しくすんだ紅葉の色だったり、ほんのり色付いた柔らかな夕焼けだったり、夜空に浮かぶぼんやりとした天の川だったり。 真昼の強い日差しの下では影が濃くなり、曇れば影は薄くなる。 満月の夜なら遠くまで風景が見えるが、その反面見える星の数は少なくなる。 反対に新月の夜ならば風景はほとんど闇に沈むが、その代わり満天の星空が見えるだろう。

これが例えば光が弱いのに影がくっきりと写っていたり、満月の夜なのに天の川がくっきりと写っていたらおかしいのだ。 絵としては綺麗であっても、それは非常に不自然な状態と言えるだろう。

写るべきものが写り、写らないはずのものは写らない。 すべてがくっきりと鮮やかに写っている必要はないのだ。

カメラの肉眼の性能の違い

ただそれを考える上で常々悩ましく感じている点がある。 それはカメラと肉眼との性能の違いだ。

肉眼は非常に高性能な上に脳がさらにそれをサポートしているため、人間が目で見る風景というのは非常に高精細だ。 最近のデジカメもかなり性能が上がってきてはいるが、まだまだ肉眼に及ばない部分がある。

それが最も顕著に現れるのはダイナミックレンジの違いだと思う。 デジカメのダイナミックレンジも徐々に向上してきてはいるが、まだまだ肉眼のそれには及ばない。 白トビや黒潰れに悩まされることは日常茶飯事だ。

そういった特徴こそが写真らしさであると言えばそうなのだが、ではそれが自然な風景だと感じるかと問われると疑問を感じてしまうのだ。 いくらデジカメの性能が向上し続けているとはいえ、完璧に自然な状態を写し撮れるかと言えばそれは不可能と言って良い。

RAW現像は自然の状態に近づけるための手段

カメラが写し撮ったもの
肉眼の印象

中には撮って出しこそ自然な写真だとする人もいるが、そうした点を考えると必ずしもそうとは言えないだろう。 特に逆光など明暗差の大きなシーンでは肉眼の印象とかけ離れた写り方をすることが多い。

そのためよほど理想的な写り方をした写真以外は全てRAW現像で微調整して仕上げている。 その際は肉眼で見た印象に近付けることを最優先とし、それ以上の補正はかけないように注意している。

上でも書いたが、その写真を仕上げる目的は基本的に「そこに存在した風景を伝えること」だからだ。 その意味では撮って出しがいかに写真らしかろうとも、それが伝えたいものを表現できていないのであれば意味がない。 同じようにさらに補正をかけることでより魅力的な絵になったとしても、それはもはや「そこに存在した風景」ではなくなってしまうのだからやはり意味がない。

春の天の川

長時間露光で写した夜の風景などは悩ましく感じる部分もある。 肉眼で決して見ることのできないものもカメラは写し撮ることができるが、その場合何が自然な状態なのか判断する基準がないからだ。 しかし写真に何かが写ったのであれば、その原因となる光は確かにそこに存在したのだ。 それは月明かりや星明りであったり、遠くから届く街明かりであったり、あるいは虫や植物が発する光であったりする。 その目に見えない光がそこにある理由を考え、それを大切にして仕上げればおのずと自然な写真が出来上がってくるはずだ。

現実世界はそれほど色鮮やかではない

十人十色
降り注ぐ光

実際のところ現実の風景をじっくりと観察していれば気付くことだが、現実世界はそれほど色鮮やかでもハイコントラストでもない。 最盛期の紅葉も別に原色のような鮮やかな色をしているわけではない。 真っ赤な夕焼けという表現があるが、それは本当に真っ赤なわけではない。 それでもそれらを美しいと感じているはずだ。

その印象を純粋に写し撮れば、その写真からは美しさを感じられるはずなのだ。

小宇宙
虹の衣
青きシュカブラ
夕暮れの幻日

そして本当に稀にだが、現実世界でも加工しすぎじゃないかと思うような風景が見られることがある。 「現実のほとんどはそんなに色鮮やかではない」と言ったが、その「ほとんど以外」が稀に存在するのも事実だ。

その瞬間を写真に収めることができたら、それこそが本当に素晴らしい自然風景写真となるのではないだろうか。

自然を写真で100%再現するのは不可能

勘違いしてはいけないことだが、自然を写真で100%再現することは絶対に不可能だ。 肉眼とカメラでは根本的に構造が異なるので当たり前のことではある。 だがそこをきちんと認識するのは重要なことだと思う。

どれだけ頑張っておもカメラでできるのは「自然な雰囲気を感じる写真」を作るところまでだろう。 どうすれば「自然な雰囲気」を表現できるのか。 そこを突き詰めていけば最終的に自分の求めるところに辿り着けるのではないかと思っている。

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