わかっていたことではあったが、今回の旅で改めて感じた。
北海道は広い。
国土地理院の資料によれば北海道の面積は83,423㎢。日本の総面積が377,973㎢なので、北海道はその22%を占める広大な土地を持っていることになる。ちなみに地元神奈川県の面積は2,416㎢。北海道には神奈川県が34個少々入る計算となる。
出発地である函館からゴールに定めた羅臼の相泊までは直線距離で約460㎞、実際に歩いた道に沿って計算したらほぼ1,000㎞となった。そこから最後にバイトをした別海の牧場までの行程も含めれば1,150kmを歩き通した。 これ程の距離をひとつの旅で歩き続けたのは四国お遍路以来だろうか。 真冬の北海道ということもあり、これだけの距離を歩くには膨大な時間と労力が必要だった。
今でこそ概ね隅々まで道路網が整備されているし、だいたいどこの集落に行っても食料や燃料の入手に困ることはほとんどない。 しかしそんな便利な環境も明治時代以降に入植した開拓民が数世代に渡ってこつこつと作り上げてくれたものだ。 入植後の数十年はそれこそ安定などという言葉とは程遠い環境だったことだろう。
道東の別海町で開拓時代を知る90代の女性から少しだけ話を聞かせてもらったことがある。
今でこそ綺麗に切り開かれた広大な牧草地帯も、当時はただひたすら果てしない森林が広がる原野だったそうだ。 舗装路や自動車などない時代なので、移動は基本的に徒歩となる。 はるか遠くの役場に用事があるときなど、ヒグマの住む深い森の中を丸一日歩いて往復したと言っていた。 数頭の牛を飼い、手作業で牛乳を搾り、雪で冷やし、回収に訪れる馬車を待ったそうだ。
そんな環境であれば様々な要因で命を落とした開拓民もかなりいたことだろう。 それでもその地に留まり続けて根気よく開拓を進めてくれたからこそ、今こうやって自分のような人間が呑気に旅を楽しむこともできるようになっているし、美味しい牛乳をお手頃な価格で気軽に飲めるようにもなっている。
時々「人の手の一切入っていない北海道を探検してみたかった」と思うこともあるが、それはやはり思い上がりなのだろう。 世界屈指の冒険家ならともかく、自分のような凡人が自然のままの北海道に踏み込んだら数日後には骨になっていてもおかしくない。 もっとも北海道は広大すぎる故に未だ人の手が入っていない土地は多い。 その希望を捨てるにはもしかしたらまだ早いのかもしれない。
そんな土地を旅する手段として今回は徒歩を選んだわけだが、やはり歩いて旅をするのは楽しい。
その理由を説明するのはなかなか難しいが、きっとその根本にあるのは「その土地を可能な限り細部まであるがままに感じたい」という思いだろう。
徒歩で移動していると、そのスピードの遅さ故に様々なものをじっくりと見ながら動くことができる。 乗り物を使っていては気付きすらせず通り過ぎてしまうような細かい部分にも注意を向けることができる。 それは足元に咲く小さな花であったり、空に浮かぶ奇妙な雲であったり、木の枝を走り回るリスの姿であったり、民家の玄関先に置かれた謎のオブジェだったりする。
駐車場を気にする必要もなく、好きな場所で好きな時に立ち止まることができる。 ちょっとした小路に気の向くまま入り込んでみることもできる。 そうして目に入るものはどうでもいいようなものも数多いが、それらも含めてあらゆる物に目を向けることができる。
さらにその土地の空気、その土地の気候、その土地の地形、それらを実感として肌で感じられるのも良い。 自分の足で峠を越え、雪の降りしきる中を歩き、森の中で寝て、ひんやりとした空気の中で目を覚ます。 そうやってだんだんその土地の事を理解していく。
それが面白いのだ。
逆に延々歩き続けても面白そうなものが何もない、という時もある。 何十km歩いても右も左も樹海が続くばかり、最初はそれも楽しかったけどいい加減飽きてきた、なんていうこともある。 どこまで行っても海と崖に挟まれた沿岸道路が続くばかり、ということもある。 しかしそんな何もない広大なエリアを歩ける場所もなかなかあるものではない。
なんだかんだ言ってもそれはそれで楽しいのだ。
別にこれは長旅に限った話ではない。 日常的な移動の中でも同じことが言える。 ちょっとした距離を移動する時に車を使うか、それとも歩いて行くか。
そう迷った時、歩く選択肢を取ってみるのも良いのではないかと思うのだ。