青森の港を出たフェリーはは深夜2時過ぎに函館港へ着岸した。 完全に真夜中だし寝不足だしでさすがにそのまま動き出す気にはなれない。 ターミナル内の邪魔にならない場所で少し仮眠していくことにする。
日も昇り外が明るくなった頃にもぞもぞ起き出す。 まだだいぶ早い時間にも関わらずターミナル内の店は早くも営業を開始していた。 腹が減っては歩き旅はできぬ。 まずは卵かけご飯大盛りで腹ごしらえだ。
腹が満たされたので荷物を背負いいざ歩き出す。
とりあえず最初はニセコ方面を目標に進んでみようと思う。
ターミナルの外へ出ると想像以上に雪が少ない。 そして思いの外暖かい。 東北を抜けてくる間は真っ白な景色ばかり見ていたのでなんだか拍子抜けしてしまった。 相当寒いものと思ってかなり着込んできたが、これでは汗をかいてしまいそうだ。
国道5号線に出て道なりに進んでいくととんかつ屋を発見(現在は国道沿いからは移転)。 まだ昼前だが早くも腹が空いたので立ち寄って行く。
ちょうど開店直後で他に客はおらず、カウンター席で店主と雑談しながら完成を待った。 付け合わせのキャベツの千切りをとてもゆっくり丁寧に切る姿が印象に残る。 出て来たとんかつの皿には美しい千切りが添えられていた。 とても丁寧な仕事をするなと思わせるもので、言うまでもなくとんかつは美味であった。
再び歩き始めて目に入ったのは「長万部 86km」の標識。 長万部(おしゃまんべ)はひとまずの目的地であるニセコよりさらに手前の町だ。 それですら86㎞。 北海道は広いとわかってはいたが、こうして数字で見ると改めて実感させられる。
しばらくは平野部が続いていたが、午後になると行く先に山が見えてきた。 大沼方面へ続く峠道だ。 さっそく最初の難関が現れたか。
と意気込んだものの、峠は思ったより低くさほど苦労しなかった。
峠のトンネルを抜けるとすぐに真っ白な小沼が見えた。 小沼というのはこの真っ白になった大きな沼のことで、その向こう側にはもうひとつ大沼という沼もある。 奥に見えているのは蝦夷駒ヶ岳。 空は快晴だが山頂部には雲が纏わりついていた。
一度国道5号線から離れて小沼の外周を反時計回りに歩いて行く。 道すがら見つけたカフェ・ダイアンへ立ち寄る。
暖炉には火が入れてあり暖かい。 その周りで猫がうろうろとしていた。 警戒心が強いのか、見開いた目でこちらをじっと見つめてくる。
猫のそんな様子を眺めながらのんびりとカツカレーを食べた。
大沼の方もぐるりと一周回ってみようかとも思ったのだが、一周すると13㎞程あるようなので今回は断念。 小沼と大沼の境界にかかる橋で対岸に渡り、そこから国道5号線の方へ戻ることにする。
小沼の凍っていない部分には多くのハクチョウやカモが集まっていた。 凍っていないとはいえ水は0度近いだろうによく平気なものだ。
国道に戻り蝦夷駒ヶ岳の西側を北上する。
真っ白な雪原、恐らくは畑か牧草地だろうが、その向こうに雪を被った蝦夷駒ヶ岳の姿が綺麗に見えている。 この山は渡島(おしま)富士とも呼ばれて郷土富士のひとつとされるらしいが、富士山を名乗るには少し平べったい気もする。
歩き始めて早3日目。
朝の気温は-6度。 あっさり氷点下2桁はいくものと思っていたが、予想に反して冷え込みはさほど強くない。 たまたま暖かいだけなのか、あるいはこの辺りはそういう気候なのか。
道から見えた自動車学校。 まだ朝早いせいか練習している車は見られない。 練習コースは綺麗に除雪されているが、免許を持たない人間にとって練習段階から雪や氷のある道を走るというのはなかなかに難易度が高そうだ。
ここまでずっと内陸を歩いて来たが、今日になって行く先に海が見えてきた。 浦内湾だ。 ここから長万部までしばらく、というかまだ50㎞以上はあるが、とにかくしばらくはこの海沿いを進むことになる。
そんな中で目に入った「札幌 230km」の標識。
230㎞かぁ。
この北海道の南西部分の少し細くなっている辺り、内浦湾の西側の部分を個人的には北海道の首と呼んでいる。 森町から八雲町、長万部町辺りを含むエリアのことだ。
実を言えば若いころ、有名な函館の夜景の写真をこの辺りのことだと勘違いしていた。 街明かりの規模を冷静に考えればそんなはずはないのに、なんとなく形が似ているのもあって当時はなんの疑問もなくそう思い込んでいた。 もし本当にそうだったとしたらこの北海道の首には広大な都市部が広がっていたことだろう。
浦内湾の向こうには白い山並みが並んでいるが、その中にひとつ存在感のある綺麗な形をした山が見える。 地図と見比べてどれだろうかと探してみるが、山が多すぎてよくわからない。 気になったのでこの後立ち寄ったドライブインで聞いてみたら、あれは後方羊蹄山だそうだ。 後方羊蹄山は割と内陸にあるのだが、意外と綺麗に見えるものだ。
取り合えずの目的地であるニセコはあの羊蹄山の西側にあるが、まだまだだいぶ距離がありそうだ。
八雲町の道沿いで見つけたレトロな雰囲気のドライブインやかた。
大盛りで頼んだら2合はありそうな山盛りご飯。 食べ切れないかと思ったがなんとか完食。 おかずの種類も多いしボリューム満点で大満足だった。
歩き旅はとにかくエネルギーを消耗するのでこうしたボリューム満点の食事を出してくれる店は非常に有難い。
八雲町に入ってしばし、振り返ると蝦夷駒ヶ岳がまだよく見えている。 進行方向を眺めると長万部方面の山並みが見える。 まだだいぶ遠い。
ふと上空を飛ぶ一羽の鳥が目に入る。 オジロワシのように見えるがどうだろう。
4日目の午後、札幌までの距離が200㎞を切った。 昨日の昼前に見た標識が札幌まで230㎞だったわけだが、だいぶ進んだと言うべきか、なかなか進まないと言うべきか。 北海道を歩き始める前は漠然と函館から札幌まで10日ぐらいで行けるかと考えていたが、まったく見通しが甘かったと言わざるを得ない。 ここからで考えてもまだ10日はかかりそうな気がする。
5日目に長万部町へ入った。
まだまだ日は短く、7時を過ぎてようやく太陽が顔を出した。 寒さのせいかだるま朝日になっている。 太陽が水平線から離れた後もだるまの切れ端がしぶとく水平線に残っていた。
国縫川を渡るときその横の看板が目に入る。 川の名前が書かれた看板は全国で見かけるが、北海道ではその名前の由来も書かれていることが多い。 そのほとんどはアイヌ語が由来だ。 こうした看板を見ているだけでも少しだけアイヌの文化に触れる事ができる。
長万部と言えばかにめしらしいので道中のドライブインかなやで食べていく。
店の人が教えてくれたのだが、長万部のかにめしは昭和20年代に駅弁として始まったのだという。 当時は毛ガニを手作業で剥いて作っていたが、今はコストの関係でズワイガニを使っているそう。 とはいえズワイガニでも充分美味しいのでお手軽に食べられる方が良い気もする。 毛ガニで作ったものも食べてみたい気はするが、一体どれだけのお値段になってしまうことやら。
そしてようやくひとつの目安にしていた長万部駅に到達。 ここからは海沿いを離れ、内陸の道を黒松内(くろまつない)方面へ進む。
ここのところ踵や足指の辺りに痛みが出るようになっていた。 歩き旅の序盤では毎回足の皮が剥けるので覚悟はしていたが、やはり避けられないようだ。 二股駅の待合所を借りて靴下を脱いでみると指の付け根やアキレス腱周辺の皮がズルズルに剥けていた。 思ったより状態が酷くて靴下には血が滲んでいる。
いつもはこんな時のためにテーピングテープを持ち歩くのだが、今回はうっかり忘れてしまったようだ。 手当に使えそうなものが何も見当たらない。 今しばらく我慢して黒松内で何か探してみるしかないか。
痛む足を騙し騙し動かし続けてなんとか黒松内の駅前へ辿り着く。 まずは薬局を探してテーピングテープを入手。 これで足もだいぶマシになるだろう。
しかし足の事もあるが、もうひとつ懸念事項がある。 この先の天気予報を見るとずっと雪マークが続いているのだ。 どうしようかとあれこれ調べていたらもう少し進んだところにライダーハウスがあるとの情報を見つけた。 電話をかけたら最初は冬だからやっていないと断られたが、徒歩であることと雪をやり過ごしたい旨を説明したところ受け入れてくれることとなった。
ライダーハウスに向かう前に黒松内駅近くで腹ごしらえ。 黒ひげという店でハンバーグカレーを注文した。
ここのマスターは元林業者だったそうで、食事の間に少しその頃の話を聞かせてくれた。 今ほど移動が便利ではない時代、仕事で山に入る時はテントで泊まり込むことも多かったそうだ。 長い時は1ヶ月以上も山に泊まり込んで作業をしていたという。 木は冬に切ると良い木材になるから冬にも泊まり込むのだと言っていたが、冬の北海道でテント生活をしながら林業をするというのはさすがに過酷すぎないだろうか。 現代のように高性能な登山装備があったわけではないし、どれだけの苦労があったのか想像もできない。
ついでに近くの精肉店で肉を仕入れていく。
歩き旅ではこうした昔ながらの量り売りをしてくれる精肉店は非常に有難い。 今の時代ほとんどの店ではパック済みの肉しか手に入らないが、それを買うとゴミの始末に困るのだ。 量り売りの店なら最初に頼めば直接ビニール袋に詰めてくれることがほとんどで、そうすればゴミが非常にコンパクトになる。
あれこれと用事を済ませてから予約したライダーハウス武田牧場へ。
牧場の一角に作られた宿泊スペースは古い鉄道の車両を再利用したものらしい。 言われてみれば入口横にある緑色のものはまさに鉄道車両の顔だ。 中の奥にある扉などもその雰囲気を感じられる。
無理を言って泊めてもらったにも関わらず事前にストーブで中を温めておいてくれた。 有難い限りだ。
天気予報の通り夜中の内に降り出したらしく、翌朝になると周辺は新雪に覆われていた。 いずれにせよ今日は先に進むつもりもなかったのでのんびりと過ごすことにする。 とりあえずは昨日見かけた近くの歌才ブナ林を見に行ってみる。
歌才(うたさい)はこの辺りの地名で、この歌才ブナ林の周辺はブナが自生する北限地なのだそう。 ブナは関東であれば標高1000~1500mぐらいの山地に生える木だ。 この辺りは標高100mもないが、それでも育つのはそれだけ気温が低いということだ。
本来は遊歩道があるようだが、雪に埋まっていてよくわからない。 時々目に入る人工物を頼りに奥へ進んで行く。 しかしやはりこの季節ではあまり楽しめる感じではなかった。 当然と言えば当然かもしれないが、春や秋の方がよほど綺麗だろう。 何か見れるかなと期待して入ったが特にこれといったものは見当たらなかった。
さらに翌日の1月17日。 2泊してだいぶ体も休まったので今日出かけようと思っていたのだが、雪はますます勢いを増すばかり。 ゲストハウスのオーナーには、今日が寒気のピークなので今日出るのはやめておいた方がいいと言われた。
オーナーが町に出るというのでついでに買い出しに連れて行ってもらう。 その帰りに道沿いにあるマザーネイチャーというパン屋へ連れて行ってくれた。
素材にこだわったパンとケーキを薪ストーブのある暖かい店内でゆっくりと味わう。 窓の外には時々小鳥がやってきては餌をついばんでいく。 ほっとするひと時だ。
のんびりしすぎて再出発するのが名残惜しくなってしまうが、そういうわけにもいかない。 明日あたりそろそろ動き出せるといいのだが。