冬の北海道を歩いてみたい。
旅をするきっかけなど大雑把なもので、割とその場の思い付きだったりする。 この冬は北海道の方から呼ばれた気がした。 北海道をあちこち歩いて回ってみたい。 ふとそんなことを思ったので、北海道を徹底的に歩いてみることにした。
青春18きっぷを手に神奈川の自宅から青森まで鉄道で移動し、そこからフェリーで北海道の函館へ渡る。 そして1月10日の朝に函館フェリーターミナルを出発地として北海道の歩き旅が始まった。
まずは北上してニセコや小樽、札幌と辿り、北海道の内陸へと入り込む。 美瑛や富良野を抜けるまでは日本海側の気候の影響で天気が悪かったが、峠を越えて十勝平野へ下りると太平洋側の気候に変わり快晴続きとなった。 しかしその反面恐ろしく寒い。 朝に-20度を超える事は基本的になく、日中も天気がいいのに-10度を下回っているということは珍しくない。
さらにそこから北上して上士幌や足寄の近辺を歩いているときなど、朝テントの中で目覚めたら-30度近かったということもあった。 生卵も凍る、牛乳も凍る、あらゆる何もかもが凍る。 その日はさすがにテントから出るのにかなりの気合が必要だった。
樹海の中の一本道を何十kmも歩いて阿寒湖へ立ち寄り、そこから摩周湖を経てオホーツク海側の斜里へ出る。 海岸沿いには流氷が流れ着いていた。 そのまま海岸沿いに知床半島へ入っていき、冬期閉鎖された知床峠を歩いて越える。
羅臼に下りたら海まで出て根室海峡沿いを車道の終端まで歩いた。
終端に着いたのは3月3日。 真冬の53日間の歩き旅。 歩いた距離はほぼ1000㎞に達していた。
せっかくの長旅なので北海道に至るまでの道中も楽しみたい。 今回は青春18きっぷを使って青森まで行き、そこからフェリーで北海道に渡ることにする。
神奈川県の平塚駅から早朝の鈍行列車に乗り込みひたすら北を目指す。 乗ったのは5時台の列車だったが、こんな早い便にも関わらず東京駅を過ぎるまではほぼ満席で立ち乗り客の姿もあった。 通勤ラッシュのすし詰め状態を思えば平和そのものだが、さすが首都圏は人の動きが活発だ。
しかしそんな車内も東京を過ぎれば途端にすっきりしたものへと変わった。
栃木県の黒磯駅で長い乗り換え待ちになったので一度駅を出て散歩する。 西口から出るとすぐ先に温泉まんじゅうの文字を掲げた明治屋という店があった。 和菓子屋かと思ったが洋菓子やお土産類なども置いていて品揃えは豊富だ。 店内で食べていくこともできるようだったので、いくつか気になったものを購入した。
名物の温泉まんじゅう、餡とバターを包んだお菓子(名前を失念)、那須野ボッカという那須高原をイメージしたブッセ。 そういえば那須という名前はよく聞くが、思えば場所は知らなかった。 この辺りにあったのか。
席に着くと店員がお茶を出してくれたので、次の列車が到着するまでのんびりとくつろがせてもらった。
青春18きっぷは一日に何度でも乗り降り自由なので、こうしてちょっとした合間に駅周辺を散策できるのは大きな魅力だ。
福島駅から山形駅へ向かう途中にある峠駅で一度列車を降りた。
ホームに降りると電車の窓に向かって声をかける売り子の姿が目に入る。 売っているのは「峠の力餅」だ。 明治34年(1901年)から120年近くも続く歴史ある立ち売り弁当なのだそうだ。
峠駅に停車する列車は一日に上下6本ずつの合計12本となる。 効率化の進んだ現代では列車の停車時間が30秒しかなく、最大でも1日に6分間しか販売するチャンスがないのだという。 まったく売れない日もあると書かれているが、実際今回も窓を開けて力餅を買い求める人の姿は見られなかった。
駅は全体が巨大なスノーシェッドで覆われていて、無人駅とは思えない存在感がある。 しかし先の売り子以外に人の気配はまったくなく、そんな中を雪だけがしんしんと降り続いていた。
峠駅を出てすぐの所には峠の力餅の店舗があった。 冬の間も営業はしているそうだが、人が来ることも少なく開店休業の日も多いようだ。 メニューは色々と書かれていたが、冬の間は力餅だけしか出していないとのこと。 暖かいものが欲しかったので少々残念だが、せっかくここまで来たので10個入りの力餅を買っていく。
その時に少しこの集落について話を聞かせてもらった。
昔はこの峠を越えるために全部で4か所のスイッチバックがあり、この峠駅もそのひとつだったそうだ。 鉱山で栄えた時代はそれなりの人口があったのだが、それが閉鎖された結果今では周辺に3世帯が残るのみだと言う。 そんな中で伝統を守り続けているというのは並大抵の苦労ではないだろう。
駅の待合所に戻り列車を待つ間に力餅を食べる。 少し塩気の強い餡子入りの餅。 塩気が強いのは肉体労働者が多かった頃の名残だろうか。 この気温なので餅もひんやりしていたが、ひょいひょいと摘まんでいたらあっという間に無くなってしまった。
少し話は変わるが、この峠駅から南の方へ山の中を進んでいくと滑川温泉という温泉地があるそうだ。 この滑川温泉、冬は道が除雪されないにも関わらず人が住んで管理していて、その雪道を4㎞歩く覚悟があれば温泉に入ることも泊まることもできるそうだ。 この豪雪地帯で4㎞ラッセルするというのはなかなかに覚悟がいる。 しかも冬の間は自炊前提の素泊まりのみとなるらしい。 それはそれでなかなか面白そうである。
思う所あって峠駅からひとつ前の板谷駅まで戻る。 峠駅で下りてから次の板谷駅に向かう便までは4時間待ちとだいぶ長かったが、この雪でも特に遅延なく無事列車に乗ることができた。
板谷駅も峠駅と同じような巨大なスノーシェッドに覆われていた。 この辺りは東北地方でもまだ南寄りのはずだが、それでもこんなに雪が降るのかと驚かされる。
時々山形新幹線が雪を吹き飛ばしながら勢いよく走り抜けていく姿が見られる。 その通過後だけはレールが少しの間露出するが、それもあっという間に雪の下に埋まってしまう。
日本海に近付くほどに雪は勢いを増す。 止む気配のないその雪で鉄道にはかなりの影響が出ているようだ。 ダイヤの遅れを知らせるアナウンスや電光掲示板の表示を何度も見聞きする。
山形県北部の新庄駅まで来ると、そこから湯沢駅までの間にある山越え区間が豪雪で運休になっていた。 幸い代替バスが出ていたので湯沢駅までの移動は問題なく進み、さらに乗り継いで秋田駅へ向かう。
湯沢駅の連絡通路からは、雪下ろしに勤しむ人の姿が見えた。 見た所50~60㎝は積もっているだろうか。 それを切り崩しては下へと落としていく。 しかしその間にも雪は勢いよく降り続いている。 果てしない作業だ。
秋田駅を過ぎてようやく青森駅まで着いた頃にはすっかり夜も更けていた。
真っ暗な中をフェリー乗り場まで歩き、なんとか函館行きの最終便に間に合わせる。 到着予定は日付が変わった深夜2時頃。 乗船時間が短いのであまりゆっくり寝られないが、さすがに一日中列車に揺られてかなり疲れている。 少しでも横になっておきたい。
次に目が覚めた時には北海道に着いているはずだ。