美瑛の知人宅を出て、まだ太陽の低い内から富良野方面へと南下する。 朝の気温は-13度。 函館から札幌辺りまでは割と暖かかったが、ここしばらくはだいぶ北海道らしい寒さになっていた。
道沿いにあった美馬牛駅。 美瑛駅と上富良野駅の中間に位置する無人駅だ。
美馬牛(びばうし)とは不思議な響きだが、これはピパウシ(カラス貝の多くいるところ)というアイヌ語が由来だそうだ。 アイヌ語の地名には基本的に漢字が当ててあるが、美馬牛とはなかなかどうして北海道に相応しい字を当てたものだと思う。
そこから国道に向かって坂を下っていくと、対面にジェットコースターの路が見えた。
波打つようにアップダウンを繰り返すその坂道をジェットコースターに例えて名付けたそうだ。 「かみふらの八景」という、地元上富良野の観光協会が選んだ景観のひとつに選ばれているという。
そのうねるような道は確かに上から勢いよく下ったらまさにジェットコースター気分が味わえそうに見える。 特にこの時期であればソリか何かで滑れば楽しそうではあるが、危険なのでさすがにやったらまずいだろう。
国道に沿って上富良野駅の周辺へ出る。
その近くにあったとんとん亭で昼食にした。 贅沢に豚のハラミを使ったカツ丼を注文。
以前の旅では食費を切り詰めたりしていたこともあったが、あんまり切り詰めすぎると体も弱るし、そもそも何のための旅をしているのかわからなくなってくる。 贅沢しすぎるのも良くないが、ある程度はその土地のものを食べていきたい。 今回の旅では朝夕はほぼスーパーで買ったラーメンばかりだが、昼だけはできるだけ道中の店に入るようにしている。
歩いていてふとひとつの標識が目に止まった。
はて、この標識はなんだろう。 こんな記号で表される標識があっただろうか。 周囲には雪で覆われた畑が広がるばかりで特に何かの施設があるわけでもない。 一体これは何を表しているのだろうか。
立ち止まってしばし考え、どうしてもわからないので歩き始めたら答えは目の前にあった。
交差点だ。 直角に交わる交差点にさらにもう一本45度の角度で道が交わっている。 先程の標識はこの6差路を表していたのだ。
朝には落ち着いていた雪だが、また再び降り出していた。
この季節では農業関係で動く人がいないせいだろう、農業エリアに入ると車通りもほとんどなく、静かなものだった。 こんな天気でも小学生は徒歩で通学しているらしく、視界の悪い雪の中をひとりで帰宅する小学生の後ろ姿を見かけることもあった。 こういう所にこそ税金をかけてスクールバスでも動かしてやればいいのにと思うが、そうもいかないのだろうか。
富良野市立布礼別小中学校と書かれた看板の裏にあった便器のように見える何か。 これは一体なんだろう。 後から思えばこれが今回の旅で最大の謎だったかもしれない。 結局答えはわからないままだ。
土地勘がある人にしか使いこなせないバス停。
これはポプラだろうか。
雪はかなり勢いを増してきていて、だいぶ見晴らしが悪くなっていた。
富良野で2度目のランチはちいさなログカフェふらわ。
その名の通りこぢんまりとしたログハウスで営業しているカフェだ。 メニューはいくつかあったが、目玉だという野菜盛り富良野オムカレーを注文。
富良野オムカレーというのは地元食材にこだわった富良野のご当地グルメだそうで、なんと公式サイトまで存在していた。
それによれば富良野オムカレーを名乗るには以下のルールを守る必要があるそうだ。
第1条 | お米は富良野産を使い、ライスに工夫を凝らす |
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第2条 | 卵は原則 富良野産を使い、オムカレーの中央に旗をたてる |
第3条 | 富良野産の「チーズ(バター)」もしくは「ワイン」を使用する |
第4条 | 野菜や肉、福神漬(ピクルス)なども富良野産・北海道産にこだわる |
第5条 | 富良野産の食材にこだわった一品と「ふらの牛乳」をつける |
第6条 | 料金は税抜1,300円以内(2022年9月変更)で提供する |
そして提供されたオムカレーがこれだ。
人参、豆、ヤーコン、ユリ根、玉ねぎ、ジャガイモ、カボチャといった感じか。 北海道で育てられた野菜がふんだんに盛り付けられている。 富良野オムカレールールの第2条の旗、第5条のふらの牛乳もしっかりと添えられている。 具材はひとつひとつがとても美味しく、素材へのこだわりがしっかりと伝わってきた。
しかも毎月6日は富良野オムカレーの日らしく、クッキーをサービスしてくれた。 なんで6日なのかと思ったら06(オム)という語呂合わせだそうだ。
富良野の平野部南端で東に進路を変える。 道路標識には帯広の文字が現れた。 その距離はまだ102㎞あるが、だいぶ近付いて来たと言える。
道には日の出前から何台もの除雪車が行き交っていた。 これだけ雪が多いと常に走らせていなければすぐに雪に埋まってしまうのだろう。
富良野市の南東にある富良野樹海に囲まれた峠を越えるとその先で南富良野町に入る。
富良野は上富良野町、中富良野町、富良野市、南富良野町に分かれている。 前3つは比較的平野部が多く、畑が広がっている。 富良野と聞いて想像するイメージはこの辺りだろう。 ここから先の南富良野町に入っていくと山間部の雰囲気が強くなる。
峠から南へ下っていくと道の駅南ふらのがあったので昼食ついでに立ち寄っていく。
おとといも上富良野でカツを食べたばかりだが、美味しそうだったのでまたカツにした。
この道の駅ではやたらとポテトチップス推しな売店の雰囲気があった。 すぐ北側にJAふらのシレラ富良野工場というポテトチップスの製造工場がある関係だそうだ。 湖池屋のポテトチップスもここで製造しているとかで、ここでしか手に入らない限定ポテトチップスが売り出されることもあるとかないとか。
南富良野の中心部はその周辺1㎞四方程度に集約されているようで、そこを離れると途端に何もなくなった。
空知川に並行して延びる国道38号を東へ進む。 空知川と言えばもう何日も前にも見ていたことを思い出す。 もう1週間は前か、日本一長い直線道路の終点付近でこの空知川を渡った。 あそこではかなり川幅があったが、上流のこの辺りではだいぶ狭くなっている。 しかしあそこからだいぶ山越え谷越えしてきたのに、同じ一本の川がずっとここまで延びているというのも不思議な感じだ。
落合駅を過ぎて少し進んでから国道を少し北へ逸れると、その先にたるきぃとなという宿がある。 先日美瑛で泊めてくれた知人が紹介してくれた宿だ。
地図を頼りに森の中の道を進んで行くとしばらくしてそれらしき建物が見えてきた。
迎えてくれたのはだいぶ年配の夫婦で、すぐにストーブの焚かれた暖かい部屋へ通してくれた。 しばらくのんびりさせてもらうついでにストーブの前で寝袋を干させてもらう。 今日は残念ながらレストラン営業はしていないそうだが、そのスペースでご夫婦の話を聞かせてもらった。
奥さんが夕食にとキーマカレーをサービスしてくれたのでご飯は自分で炊いて早めの夕食にした。
ここの御主人も昔は旅人だったそうだ。 様々な地を旅して回り、最終的に終の棲家として選んだのがこの場所だという。 自分が本当に好きな場所とはどんな場所かを考えたら、それは森に囲まれた場所だと気付いたのだと言っていた。
今でも裏山に入って猟をするなどして暮らしているそうだ。 クマと出会うことも当然あるが、もし出会ってしまっても慌てずに落ち着いて静かに話しかけるのだとか。 こちらが慌ててしまうとクマも余計に警戒する。 こちらが何の害意もないことを態度で表せばクマも襲ってこないのだと言う。 そうは言っても実際にクマと遭遇した時に果たしてそんな対応ができるだろうか。
その後もあれこれと色々な話をしたが、その中でとても印象に残っていることがある。
これは自分でもまったく同じ考えを持っていたのだが、それが御主人の口からも語られたのだ。 それは「旅の手段は遅ければ遅い方が良い。車よりバイク、バイクより自転車、自転車より歩き。歩き旅こそが最も旅を楽しめる手段だ」というものだ。 これを聞いた時「ああ、同じ考えをしている人が世の中に存在したんだ」と、驚きと共にそう感じた。
今まで旅の中で色々な人と話をしてきたが、この考え方に完全に同意してくれる人はいなかった。 「なんでそんな疲れることするの」とか「時間がもったいない」とか「わかる気はするけどさすがにやる気にはならない」とか、そういった意見ばかりだった。 なんでこの歩き旅の楽しさをわかってもらえないんだろうと常々感じていたのだが、今日ようやくそれを全面的に受け入れてくれる人に出会うことができた。
そんな話で盛り上がっていたらいつの間にか21時を過ぎていた。
ここは部屋を取ることもできるが、外でキャンプすることもできる。 最初はキャンプでお願いしてあったが、外にある廃バスを貸してくれることになった。 これはこれから座席を外して中で寝れるように改造するために手に入れたものだそうだ。 まだ座席はほとんどそのままだが、通路にマットを敷けば充分寝ることができた。 空間が広いので少し冷えるが、風を完全に防げるのはありがたい。
空は良く晴れていて、真っ暗な空に大きな北斗七星が浮かんでいた。
30日目の朝、寝床に借りたバスの中で目を覚ます。
バスはやはり広すぎて朝食の準備で火をつけても全然温まらない。 こういう時はテントだと楽に暖を取れるのだが。 そんなことを思いながら手早く朝食を済ませて出発する。 宿の人は朝はゆっくり寝ることにしているそうで、挨拶は昨日の内に済ませておいた。
国道38号に戻り再び東へ向けて歩き出す。
この先には狩勝(かりかち)峠があり、そこの稜線がちょうど日本海と太平洋の分水嶺になっている。 狩勝峠の「狩」は石狩川水系を表し、その石狩川は最終的に日本海へと注いでいる。 「勝」は十勝川水系を表し、こちらは太平洋へと注いでいる。
峠に続く道は両側を森に挟まれているが、それにも関わらずずいぶんと風が通る。 夜明けの頃は太陽が覗いていたが、それも完全に隠れてどんよりとした曇り空が広がっていた。 気温は-15度前後とそこまで極端に低いわけではないが、風が強いせいでとんでもなく寒い。 厳冬期用のグローブをつけても指の感覚がなくなりそうなほど冷える。
標高が上がるにつれて風も少しずつ強くなっていく。 風速10m前後あるのではないか。 進めど進めど避難できる場所がどこにもない。 少しでも立ち止まればあっという間に体が冷え切って動けなくなってしまう。 結局峠までの8㎞以上ある上り坂をほとんど立ち止まることなく歩き通した。 峠に着いた頃にはすでにだいぶ足にきていた。
峠には駐車場と閉鎖された何かの店があった。 ここから東側は道東エリアになる。 視界はだいぶ悪いが、少し十勝平野が見えていた。 どこか風を避けられる場所がないかと思ったが、良い場所がないのでそのまま峠の向こうへ下りていくことにした。
下りも下りでまた非常に長い道のりだった。 惰性で足を動かせるのでまだ良いが、とにかく早くどこかで休みたかった。 峠から9㎞以上下ったところでようやく一軒の店を見つけた。
ペイストリーストーブハウス(現在は帯広に移転)という看板の横にコーヒー、パン、ケーキの文字が見える。 いつもなら焼き立てのパンに引き寄せられるところだが、今の頭の中は「とにかく寒い」という思考に支配されていた。
そのまま足を止めずに店の玄関をくぐる。 暖房の効いた店内に入ってようやく人心地が付いた。 今回は本当に遭難するのではないかと思った。 何事もなく無事に安全地帯に辿り着けて心の底から安堵している。
落ち着いて店内を見回すと何種類もの美味しそうなパンが並んでいた。 パンを3つとアップルパイ、さらにハスカップのロールケーキ、それにコーヒーを注文。 お店の人やお客さんもこんな所にいる旅人が珍しいのか、代わる代わる話しかけてくる。
短いながら心も体も温まる素敵な時間を過ごさせてもらった。
そこからもう少し下ると平野部に出た。十勝平野の西端だ。
北海道は広く、地域によって気候が大きく異なる。 大雑把に言えば西側の日本海側は雪が多く、東側の日本海側は雪が少ない。 そう情報としては知っていたが、今回の峠越えでそれを実感することができた。
十勝平野に降り立つと、まずは雪の少なさに驚いた。 これまでは歩いた日数の半分は雪が降っていたのではないかという程で、どこもかしこもかなりの積もり方をしていた。 しかし狩勝峠からこちらは一応積もってはいるもののかなり薄い。 テントのペグが挿せる程度の厚みすらなかった。
しかしその代わり尋常ではなく寒い。 天気が良い反面放射冷却で深夜の気温低下が激しく、朝方の冷え込みが非常に厳しい。 十勝平野で迎えた最初の朝はテントの外が-25度だった。 その後も毎朝気温を計っていたが、-20度より高くなる事はまずなかった。
そんな中でひとまずは帯広方面を目指して進んで行く。
とある交差点で見かけた馬の描かれた標識。 「自転車・馬・人注意」と併記されている。
法律上において馬は軽車両という扱いではあるが、今のところ観光地の馬車以外でそれを見たことはない。 この辺りでは一般的な交通手段として馬を使う人もいるということだろうか。 思えば「歩行者注意」は目にすることがあれど「人注意」という表現は見たことがないような気もした。
これもまた北海道ならではの光景だろう。
新得の町にある町営のスケートリンクだ。 屋外のスケートリンクは日中でも氷点下が続くような土地でしか成り立たない。 見るからに硬そうな氷の表面が早朝の空の色をほんのりと映している。 まだようやく日も昇ろうかという時間にも関わらず、すでにそこにはスケートを楽しむ人の姿が見られた。
その強い冷え込みにより川面からは気嵐が立ち昇っている。 峠越えの時のような強い風こそなくなったものの、それでも同じぐらいの寒さを感じるのは気のせいだろうか。 外気に冷やされたカメラを手にしていると、その金属ボディから厳冬期用の登山グローブの分厚い生地を突き抜けて指が痛くなる程の冷気が伝わってくる。
御影駅の近くで町をぶらぶらと見て回っていると一軒のパン屋に遭遇した。 手作りパンの店 じゅん&まき。 昔ながらのパン屋さんという表現がぴったりだ。
行動食にといくつかパンを選んでいると、後から入ってきた女性が値引きパンの詰め合わせを買って渡してくれた。 買い物ついでに周辺でランチに良い店はないかと聞いてみると、国道沿いにあるとんかつ屋を紹介してくれた。 今日のランチはそこで食べることにする。
「とんかつのみしな」というその店はかなりの評判店らしく、多くの人で賑わっていた。
いろいろとメニューはあったが、今回はシンプルにロースかつ定食を注文。 しっかりと熟成させたという道産の豚肉で作られたそのとんかつは実に美味だった。
思えば北海道に来てからはよくとんかつを食べている気がする。 初日に七飯で食べ、その後も大沼、赤平、上富良野、南富良野で食べてきた。 覚えているだけでも今日で6回目か。 好きだから仕方がないのだが、どうしてとんかつにはこうも惹き付けられるのだろうか。
ずっと車道沿いを歩くと言うのもつまらないので、御影で国道を離れて十勝川の北岸にある土手道へ入ってみた。 今日はもう夕暮れが近いので川を渡った先の河川敷にテントを張り、明日から川沿いの風景を楽しむことにする。
翌朝のテント内は-18度。 外の様子を覗こうとわずかに開けたファスナーの隙間から凍り付くような冷たい空気が入り込んでくる。 周辺の草木には薄くびっしりと霧氷がついていた。 テントのフライシートもバリバリに凍り付いている。
河川敷はいつの間にか濃い霧に包まれていた。 目の前にある橋すら川の中程までしか見えず、その先は霧の中に消えていた。
土手から見下ろすと土手に挟まれた河川敷に白い霧が低く漂っている。 その原因は十勝川の川面で発生した気嵐(けあらし)だ。 これは水面の上に大きな温度差のある冷たい空気が入り込んだ場合に、そこへ霧が発生する現象だ。
少しするとその勢いはさらに増し、まるで温泉の湯気かのように水面から激しく霧が湧き始めた。 河川敷に納まり切らなくなった霧は土手から溢れ出し、地面に沿って周辺へと薄く広がっていく。
そこへ昇ったばかりの朝日から淡く黄色い光が射し込み、とても幻想的な光景が広がった。 往く先はぼんやりと霧の中に沈み、どこか知らない世界に迷い込んでしまいそうな雰囲気を醸し出していた。
再び川原に下りて流れの近くまで行ってみると、凍った水面にフロストフラワーが白い花を咲かせていた。 これもまた北国でないとなかなか見られない光景だ。
そんな幻想的な風景をじっくりと楽しんだ後、再び橋を渡って現実世界へ戻っていく。
今日のランチは十勝のソウルフード、インデアンのカレーだ。
トッピングが色々と選べるようなので、ちょっと贅沢にとんかつとハンバーグを選択。 さらに大盛りにしてみたが、それでも1030円と実にリーズナブル。
大衆向けなのだろう、とんかつとハンバーグは普通の味かなという印象だったが、カレーのルーが気に入った。 何と言えばいいのかわからないが、癖になりそうな味だ。 地元のソウルフードと言われるのもわかる気がする。
インデアンでは持参の容器にカレーのルーだけを買うこともできるそうだ。 好きな人には実に嬉しいサービスだろう。
以前にも泊ったことのある西帯広のライダーハウスCAFE Pitに部屋を取った。
5匹の猫と1匹の犬に囲まれながらチェックインを済ませる。 その日はそのまま体を休め、翌日改めて帯広の町を散歩しに出掛けた。
やや東寄りを意識しながら住宅街を南下していく。 帯広の町は北海道でよく見る碁盤の目状に区画分けされているので方角を見失いにくい。 だいたいイメージしていた通りに住宅街の南側に抜けた。
住宅街が途切れたその先はいきなり森になっていた。
この辺りの森は帯広の森と呼ばれ、昭和50年から100年計画で整備が進められている森だそうだ。 すでにその計画開始から40年以上経っているということで、森の木々はかなり大きく育っていた。
時折ちょろちょろと走り回るエゾリスの姿も見られた。 地面から幹を垂直に駆け上り、枝から枝へと軽やかに飛び移っていく。 素晴らしい身体能力だ。
森を抜けてさらに進むと帯広畜産大学の付近に出た。
この辺りは漫画「銀の匙 Silver Spoon」の舞台モデルとなった場所だ。 そのせいか時折なんだか見たことのあるような風景が目に入る。
広大な敷地の中を歩いて行くと馬の厩舎があった。 数頭の馬が日差しの下でのんびりと草を食んでいる。 その先を曲がるとシラカバ並木が続いており、周辺には様々な大学の施設が並んでいる。
思えば大学の敷地というものに入ったのは昔センター試験を受けにどこぞの大学に行ったとき以来だろうか。 その時は試験会場の教室を行き来しただけだったので、こうしてじっくりと大学の敷地を見て回るのは初めてかもしれない。 ここが特別そうなのかもしれないが、大学とはこんなに広いものなのか。 通っていた高校とは大違いだ。
その敷地の一角に何やら大層な望遠レンズを構えた人達の姿があった。 どうやらエゾリスを撮影しに来ているようだ。 かなり人に慣れたエゾリスのようで、すぐ近くにいる人のことなど気にしないかのようにちょろちょろと走り回っていた。
せっかくなので少し自分も混ざっていくことにした。
少しして追いかけていたエゾリスとは別にもう1匹白いものが動いていることに気付く。 エゾリスは通常薄く茶色がかった灰色の毛をしているが、それは全身真っ白い毛をしていた。 アルビノのエゾリスだ。
雪の中ということもあってその白い姿が風景によく馴染んでいる。
1時間程撮影していたが、どこかへ行ってしまうこともなく、ずっとその近くを走り回っていた。 完全にここをテリトリーにしているようだ。 時折撮られているのを理解しているかのようにポーズを取ってくれることもあった。
町の中ではリスが描かれた動物注意の標識が見られた。 そこら辺の街路樹でリスを見ることも珍しくないし、人と自然が程よく調和しているようにも感じられる。
今日のランチは少々奮発することにした。
せっかく畜産の盛んな帯広に来たので、やはり美味しい肉を食べていきたい。 そこで訪れたのが丸鶏・ステーキみさき食堂だ。
いつもは懐事情を考えてついお値段控えめのメニューを選んでしまうが、今日は我慢するのをやめた。 思い切ってLポーンステーキ300gを注文する。 お値段2550円。
焼き立ての肉汁滴るステーキにかぶりつく。 しっかりとした歯ごたえがあり、その実に肉々しい味には興奮を隠せない。 300gあった肉も軽く完食。 非常に満足度の高い食事をさせてもらった。 また帯広に来ることがあったら是非また食べに来たいと思わせるものだった。
そこから少し歩いて帯広競馬場へ。
先日立ち寄ったパン屋で居合わせた人にもらった無料入場券を持っていたのでそれを使って場内へ入る。 通常は入場料として100円が必要だ。
正直ギャンブルにはまったく興味がないし、競馬にも興味はない。 しかしこのばんえい競馬だけはずっと見てみたいと思っていた。
ばんえい競馬は一般の競馬とは異なり、数百kgあるソリを曳いた馬がその速さを競うものだ。 最重量級のレースでは1tのソリを曳くこともあるという。 馬は農耕馬の血を引く大型のばんえい馬で、その体重も数百㎏から重いものでは1tを超えるものもいる。 彼らは騎手の乗ったそのソリを曳き、土が盛られた二つの障害を乗り越えてゴールを目指す。 スピードというよりはパワーを競い合うレースだと言ってもいいかもしれない。
スタート地点のゲートが開くと一斉に競走馬が飛び出した。 本当に数百㎏のソリを曳いているのかと思わせるようなスピードで走っていく。
やや低めの第一障害はほとんどの馬が勢いをつけて一気に乗り越えた。 そのパワーを生み出すために鍛え抜かれた筋肉はもはや芸術品と言っても良いだろう。
その先に待つさらに高さのある第二障害は同じようにはいかない。 勢いに任せて突っ込んでもソリを曳き上げきれないので、各々が第二障害の前で一度休憩を挟む。 スピードを競うレースなのに途中で休憩するというのもなかなか面白いが、これも重要な駆け引きだ。 最低限の休憩でいかに速やかに息を整え第二障害を越えるか、そこが勝負の要になる。
勢いよく踏み出すも、力が足りずに途中で足が止まる馬もいた。 いかに巨体のばんえい馬とは言え、数百㎏のソリは半端な負担ではないようだ。 中には息を切らして膝をついてしまう馬もいる。
そうして第二障害を越えればその先はもうゴールだが、まだ油断はできない。 第二障害を越えるのに力を使いすぎ、ゴール手前で立ち止まってしまうこともある。 そうしている内に後から第二障害を越えた馬がその横をすり抜けてゴールするなんていう場面もある。 見ていていろんな意味でハラハラしてくる。
ちなみに通常の競馬はゴールラインに馬の鼻先が到達したらゴールになるそうだが、ばんえい競馬ではソリの末端がゴールラインを越えた時点でゴールとするらしい。 これはばんえい馬が元々農耕馬として活躍していた種なので、荷物を運び切るまでが仕事だという考えによるものなんだとか。
最初は1レースだけ見れたらいいかと思っていたが、思いの外熱いレース展開につい3レースも見ていってしまった。 どうせなら1枚ぐらい馬券を買っても良かっただろうか。 当たるにしろ外れるにしろ良い記念になっていたかもしれない。
まだレースは残っていたのでもう少し見ていってもいいかとも思ったが、風呂や洗濯も済ませておきたいのでほどほどにして帰路に就いた。