冬期閉鎖となった知床横断道路へ足を踏み入れる。
この道はオホーツク海側のウトロ付近から根室海峡側の羅臼港付近までの間を知床峠を越えて繋いでいる道だ。 冬期は双方の入口がゲートで閉鎖され、除雪も一切入らなくなる。
しばらく登ると右手に愛山荘があった。 誰か使ったようで入口周辺の雪を掘った形跡がある。 だいぶ年季の入った小屋だが、よく手入れされてた。
道の先には真っ白な羅臼岳が見えている。 良く晴れていて白と青のコントラストが美しい。
森林限界付近で振り返ると遠くにオホーツク海が見えた。
木が減って見晴らしが良くなる代わりに風当たりがだいぶ強くなってきた。 風の通り道では雪が吹き飛ばされてアスファルトが露出している所もあった。
峠がだいぶ近付いて来た頃、羅臼側から薄い雲が漂ってきた。 その雲が太陽にかかるとそこへ光環が現れた。
通常の光環は太陽の周りに虹色の輪が出るが、今回は何故か緑色の輪になっている。 こんなのは初めて見た。 何か特殊な条件が重なったのだろうか。
薄い布のような雲が形を変えながら上空を流れていく。 羅臼岳はいつの間にか笠を被っていた。
昼過ぎには知床峠に辿り着いた。
峠は一番風が抜けやすいようで、ほとんど雪が積もっていなかった。 冬期閉鎖中なので当然車の姿はなく、また人の姿も自分以外にはどこにもない。
本来ならここからは眼前に聳え立つ羅臼岳が見れるのだが、さっきから雲を被ったままでなかなかその中から出て来てくれない。
峠を越えるとその先には遠く根室海峡と国後島の姿が見えた。 根室海峡にもかなりの量の流氷が浮かんでいた。
羅臼側はの道は稜線を越えて飛んできた雪で派手に吹き溜まっている。 この辺りは冬の間オホーツク海側から風が吹くことの方が多いようで、どうしてもこちら側に雪が溜まってしまうようだ。 逆に今日登ってきたオホーツク海側にはここまで酷い吹き溜まりはなかった。
知床峠から少し下ると羅臼湖に繋がる湿原が広がっている。 もっともこの季節はそのすべてが雪の下に埋まっているので湿原を楽しむことはできない。 その代わり無雪期には歩けない所も歩けるのでこの季節にしか見られない視点からの景色を楽しむことができる。
周辺に生える木はすっかり葉を落として厳しい冬に耐えている。 強い風と積雪の影響だろう、背の低い木が多く、また幹や枝がねじ曲がっているものが多い。 そんな純粋な自然の姿を楽しみながら羅臼湖の方へ進んで行く。
辿り着いた羅臼湖は完全に凍り付いていた。
露出した氷の部分を見てもかなり分厚く凍っているように見える。 羅臼湖の水深は最大でも4mしかないらしいので、気温さえ下がればすぐに凍ってしまうのだろう。 見た感じでは上を歩いていけそうに見えるが、しかし万が一のことを考えるとちょっと勇気が出ない。 恐らく何も心配はいらないのだとは思うのだが。
そこからさらに奥へ進むと羅臼湖に注ぐ源流がある。
驚いたことにこの寒さでも源流は凍らずに羅臼湖へちょろちょろと流れ込んでいた。 やはり凍った羅臼湖の下には液体の水があったのだろうか。 これだけ寒い地域でも完全に凍り付くということは意外のないのだと感心する。
一度うっかり雪の下に隠れた水流に足を突っ込んでしまったが、幸いにも浅くて靴の中までは水が入らずに済んだ。
その源流をさらに遡っていくと峠に出る。
ここも羅臼町と斜里町の境界となる稜線にある峠だが、特に名前がついているわけでもないただの名も無き峠だ。 ただ、ずっと気になっていた。 以前この辺りを訪れた後に地形図を見ていたらこの峠が何気なく目に入ったことにある。 その時ふと思ったのだ。
この峠から見た風景はどんな感じなのだろうかと。
だから来てみた。
結果的に他の展望地に比べて特別優れた何かがあったわけではなかった。 しかし自分の眼で確かめることができたというのは大きな成果だし、その道中はわくわくして楽しかった。
峠に出ると途端にオホーツク海から吹き付ける爆風に襲われた。 この辺りは本当に稜線の向こう側とこちら側で風の強さが違いすぎる。 その風に耐えながら風景をしっかりと目に焼き付け、元来た道を引き返した。
車道の近くまで戻ってきた頃にはだいぶ太陽も傾いていた。 風の当たりにくい平坦な場所を探してテントを張る。
羅臼岳に当たっていた夕暮れの光も徐々に薄れ、日没を過ぎるとあっという間に周囲は闇に沈んでいった。
最寄りの町は遠く、その明かりはここまで届かない。 本当の空の暗さを感じられる。 その中に浮かび上がる雪山の白い肌。 それを照らしているのは満天に広がる星の光だ。
羅臼岳の近くには北斗七星が浮かび、そこから辿って北極星を見つける。 視線を巡らせると良い位置にオリオン座と冬の大三角が浮かんでいた。 冬の大三角の間を通るように薄っすらと天の川も見えている。
この素晴らしい星空を今この知床の山の中で見ているのはもしかしたら自分一人だけかもしれない。
星の撮影で夜更かししすぎたか、朝は少し起きるのに苦労した。
朝食を手早く済ませてテントから外を覗くと空の赤味が強くなっていた。 これは綺麗に焼けるかもしれない。 慌てて準備して見晴らしの良い場所まで100m程の距離を移動する。 その間にも空の赤はどんどん濃くなっていく。
なんとか日の出直前になって目的のポイントに辿り着く。
程なくして国後島の向こうから朝日が昇った。 朝日の周辺に少し雲があるが、それが良い感じに染まって綺麗な朝焼けになっていた。 シルエットになっている山は高い方が羅臼山でそのすぐ右の低い方が小羅臼山だ。
現在の情勢下ではあの山に登りに行くことはまず無理だろうが、そんな機会があれば是非行ってみたいものだ。
やがて色が薄くなってきたのでテントへ戻り、片付けをして羅臼の町へ下りて行った。
5時間程歩くと羅臼側のゲートが見えてきた。
ゲートを過ぎた先にはすぐ熊の湯という温泉がある。
北海道でも有名な露天の温泉で、以前にも何度か入ったことがある。 もうしばらく風呂に入っていないので、道すがら入っていくことにする。
そういえば風呂はいつぶりだろうかと思い返してみたら、帯広で入って以降に入った記憶がない。 日付で言うと2月11日になる。 今日はもう2月28日。 17日も入っていなかったのか。
海の方へ真っ直ぐ下っていき、羅臼の港町に入る。 振り返ると町並みの奥に真っ白な羅臼岳が見えていた。 そのまま進んで港まで出る。
山の上から見えていた通り、根室海峡には流氷が流れ着いていた。
海上には観光船の姿が見える。 その周りにはおびただしい数の鳥が飛び回っている。 観光船から撒かれる餌を狙った鳥たちだ。 オオワシやオジロワシ、カモメなどが入り交じっていることだろう。 それを流氷に止まって遠目に眺めるワシの姿も見られた。
観光船の周辺以外にも至る所で海鳥がたむろしている。
オオワシやオジロワシといった大型の猛禽類も相当な数見られる。 彼らは冬の渡り鳥だが、十や二十どころではなく百羽以上のワシが港の周辺には訪れるという。 もっと珍しいものだと思っていたので初めて羅臼に来た時は驚いたものだ。
昼時になったので一度町に戻って店を探す。
たまたま見かけた喫茶とおりゃんせという店に入ってランチができるかどうか聞いてみた。 すると「特にメニューではやってないけど、時間がかかっても良ければ作れる」というので、せっかくなのでお願いすることにする。
出してくれたのはご飯とナポリタンにカジカのアラ汁、カレイの塩焼き、それにかずのこ、たらこ、すじこの魚卵セットに何かの昆布巻き。 実に港町らしいラインナップだった。
途中で入ってきたお客さんも交えて話が盛り上がり、ついつい長居してしまった。
暗くなる前にと海沿いの道路を北東へ、半島の先の方へと進んで行く。
だいぶ日も傾いたころ、一軒の家に辿り着く。
先日阿寒湖から摩周湖へ向かっている道中で声をかけてくれた漁師が住んでいる家だ。 知床峠から下りてきた頃に連絡を取ったら、泊まっていってくれて構わないと言ってくれた。 それでお言葉に甘えてここまで来たというわけだ。
その漁師の男性は嬉しいことに歓迎の用意をしてくれていた。 台所にはなんと毛ガニが丸ごと2匹と、他にもいろいろな魚が出されていた。 夕食はそれらをふんだんに使ったあまりにも贅沢な海鮮鍋をごちそうしてくれた。
その後は途中参戦した息子さんを交えて夜遅くまで様々な話をして盛り上がった。 しかし翌日のこともあるのでほどほどの時間でお開きとし、空き部屋を借りて寝ることにした。
風呂もそうだったが、建物の中で眠るのもまた随分と久しぶりだ。 これも思い返せば帯広以外か。 ずいぶんとテント生活が長かったことになる。 しかしそんな生活もそろそろ終わりが近付いている。
残りわずかとなった旅路をじっくりと味わうように進む。
道の終端まではもう20kmもなかったが、途中でさらにもう1泊した。 なんだかゴールに辿り着いてしまうのがもったいないような気がしたのだ。
その日の朝は真っ赤に染まった海を見た。
進めば進むほど人の気配がなくなっていく。
時々海岸沿いに並ぶ番屋を見るが、これも果たして使われているのかどうか。 昔とは違い、今はもう番屋を使うような漁のやり方はしなくなったとも聞く。
この先はやがて行き止まりになるので車の行き来もほとんどない。
一軒だけ煙突から煙が出ている家を見かけたが、生活の気配がするのはその家ぐらいだった。
やがて最奥の集落、相泊(あいどまり)が見えてくる。
無雪期には観光客相手の店が営業しているのかもしれないが、冬の今はまったく人の気配を感じない。
この季節にはバスも出ていないので観光客もまず訪れることはないだろう。
そして道が途切れた。
ここが終端か。
ここからさらに奥に進む手段は徒歩のみとなる。
車道の末端を越えて雪を被った海岸に踏み込み、少しだけその先へ進んでみる。
ここにももはや使われなくなったであろう番屋がかなりの数並んでいた。 よく見れば古めかしい木の電柱が並び、電線が引かれている。 そこまでインフラを整備してあるということは昔はここも相当に活気があったのだろう。
その番屋の列が途切れた辺りにテントを張った。
ここを今回の旅の終着点としよう。
函館を歩き始めたのが1月の10日で今日は3月3日。 実に53日間もの長きに渡る歩き旅となった。 気紛れで歩き始めた旅だったが、無事にここまで歩き通すことができてほっとした。
なんだかここまで来ればものすごい達成感を感じるかと思っていたが、思っていたより冷静な気分だ。 むしろ「もう終わってしまったのか」「なんだか物足りない」そんな思いすらある。
今回の旅は本当にこれで終わってしまったのだろうか。
翌日、せっかくここまで来たので周辺を探索してみる。
まずは少し先の崩浜(くずれはま)を見に行ってみた。 少々物騒な名前だが、実際それを見れば理由がわかる。 海岸からいきなり立ち上がる急峻な崖。 いつ崩れて来るかもわからない様子で、まさに崩浜の名が相応しい。
奥まで行こうとしたが雪崩跡もあったので程々にして引き返し、今度は裏手の森へ入り込む。 驚いたことに自分以外の誰かの歩いたトレースが残されていた。 もしかしたら地元の人の遊び場になっていたりするのだろうか。 このままひたすら上へと登り続ければ知床岳に辿り着くはずだが、さすがにそこまでの元気はなかった。
テントに戻って休んでいると、外から「すみません」という声が聞こえた。
テントから顔を出すとそこには雪山装備に身を包んだ若者が立っていた。 聞けば彼はこの積雪期の知床半島を海別岳から知床岬まで単独で縦走してきたのだという。 その縦走を終え知床岬から海岸沿いに歩いて来たところ、なぜかこんなところにテントがあったので声をかけてみたという。 人に会ったのは2週間ぶりだと言っていた。
それにしてもなんという凄いことをやる若者だろうか。
自分も自分の旅を全力で楽しんでいるので比較するものでもないかもしれないが、それだけの雪山をやれる技量を羨ましく感じてしまう。
彼の旅もちょうどこの先の相泊でゴールとなるそうだ。 この相泊をゴールと定めた二人が同じタイミングで旅を終えたというのも面白い偶然だ。 これも何かの縁だと思いSNSを交換してもらった。
少しの間言葉を交わし、その後改めてゴールへ向かう彼の背中を見送った。
同じ場所でさらにもう1泊して3月5日の朝に帰路へ就く。
今朝目が覚めた時、妙な夢の記憶が頭の中に残っていた。 どこかの部屋で寝ていたら突然ヒグマが入ってくるという夢だ。 その後襲われたのかどうかよく覚えていないが、なんとも物騒な夢だった。
海を眺めながら歩いていると、海に浮かぶ2羽のカモメが目に入った。 何気なくそれを見ていたら、突然その片方が海面から数十cm程飛びあがり、その勢いで頭から海の中へ飛び込んだ。 わずかな時間で海面に戻ってきたカモメの嘴には大きな魚がくわえられてた。
そのずいぶんな大物をどうするのかと思って見ていたら、岸の上でそれを丸呑みしようとし始めた。 魚はまだ生きているようで、食われてたまるかと足掻いている。 カモメはそれを何度か地面に落としてはくわえなおし、なんとか口の中に押し込もうと頑張っている。 やがて魚の抵抗も虚しくそれはカモメの喉の奥へと納まった。
道中にある集落では適当な横道に入ったりしてその様子を眺めていく。
先日泊めてもらった漁師の家を再び訪れ、目標の達成を報告した。
そのついでに今までずっと歩いたルートを書き込んできた北海道の地図に最後のラインを書き入れる。 本当に北海道の端から端までラインがつながった。 なんだか感激だ。
やがてすっかり馴染みとなった羅臼の港町へ再び辿り着いた。
羅臼港近くのガソリンスタンドで飼われているたろいもちゃんこと戯れながらこの先の事を考える。
自宅に帰るか、あるいは北海道に残るか。 北海道に残るにしても旅を続けるか、あるいは資金調達に何かバイトをしてみるか。 なんだかんだ言ってもお金は必要だ。 帳簿を付けていたわけではないが、この2ヶ月近くの旅で恐らく20~30万円ぐらいは使っただろう。
そんなわけでしばらく羅臼に滞在してバイト先を探しつつ、羅臼周辺の自然を楽しんで行くことにする。
国後展望塔に続く道の途中に閉鎖された羅臼スキー場がある。
夜明けに合わせてゲレンデを登っていくと、ちょうど国後島の羅臼山と小羅臼山の間から昇ってくる朝日が見えた。 羅臼港からは多くの漁船が冬の海へと繰り出していく。
雪の積もったゲレンデにはいくつもスキーで滑った跡が残されていた。 リフトはもはや動いていないが、自力で登って滑っている人は割といるようだ。
ゲレンデの最上部からさらに登り、その奥の稜線に出る。
しばらく稜線に沿って歩いてみると、所々景色の良いポイントから知床の山並みを眺めることができた。 北側には羅臼岳から続く知床連山の山並みが見える。 南側には知床半島の付け根に向かって続く尾根の連なりが見えた。
一度町へ下りて食料と燃料を買い足し、今度は英嶺山へ入る。
英嶺山は羅臼の港町からすぐ北側にある521mの低い山だ。 羅臼町立知床未来中学校の裏手に登山口があり、そこから登っていくことができる。
冬のこの時期では入る人もほとんどいないようで、トレースはついていなかった。
英嶺山の中腹には台地状のなだらかな部分があり、一面にダケカンバ林が広がっている。
自然林なのかと思っていたが、町の人が言うにはこれらのダケカンバは植林されたものだそうだ。 言われてみれば成長度合いが同じぐらいなものばかりだし、生えている間隔も規則的に見える部分がある。
少し残念に思いはしたが、植林帯であろうとも白い幹がずらりと並ぶ風景はなかなか見応えがある。 植林されたものであればいずれは切られてしまう運命かもしれないが、そのまま数十年育ったところを見てみたい気もする。
英嶺山の山頂には山の名前が書かれた小さな看板が立っていた。
その先には羅臼岳が見えているが、残念ながら少し雲をかぶってしまっている。 後ろを振り返ると羅臼港に近い羅臼川の河口付近が見えている。 お手軽な山にしてはなかなかの景色だ。
しばらく山頂周辺の散策を楽しんだ後、中腹の平坦部まで下りて夜に備える。
夕日を追いかけて沈んでいく細い月。
青味を帯びる空が少しずつ濃さを増していく。
夜にはオリオン座と冬の大三角が綺麗に見えていた。 葉を落としたダケカンバのシルエットも良い味を出している。 ダケカンバは葉が茂っているのも良いが、この葉が落ちた状態も割と好きだ。
静かな森の生活も思う存分堪能したので一度町に戻ることにする。
英嶺山を下り、先日泊めてくれた漁師の家を再び訪れる。 次の漁に出る時に船に乗せてくれるよう船長に取り合ってくれたというのだ。 滅多にできない経験なので喜んで同行させてもらう。
翌早朝、港へ行くとまだ暗い内からすでに出航の準備が始まっていた。
小さな船室で身を寄せ合って朝食を食べるとすぐに出航となった。 ようやく白み始めた空の下、流氷の浮かぶ海の上を漁場へ向かって進んで行く。 海上の空気は陸地に比べてさらに冷たく感じる。 だいぶ着込んできたものの、日が昇るまでは寒さに震えることになった。
他にも数隻の船が近くで行動していた。 詳しくはわからないが、何隻かでチームを組んで行動しているようだ。
この船では刺し網漁という方法でスケトウダラを獲っていた。 スケトウダラと聞いてピンとこない人もいるかもしれないが、タラコや明太子の親だったり、かまぼこなど魚肉練り製品の主原料だったりするので意外と身近な魚だと言える。
網で魚を獲ると聞くと、海底の魚を網で包んで引き上げるようなイメージがあった。 しかしこの刺し網漁というのは目的の魚が丁度はまり込む大きさの目をした網を海に沈めて、その網の目に刺さって抜けなくなった魚を獲る方法なのだという。 網に刺さった魚を獲るので刺し網漁と呼ぶわけだ。 網の目より小さな魚も大きな魚もかかりにくいため、狙った大きさの魚に的を絞って獲ることができるのだとか。 なるほど、よく考えられた漁法だ。
仕掛けのある場所へ着くと船に取り付けられた機械で網を巻き上げ始めた。 その網の目にはスケトウダラがあちこちに刺さっている。 船員がそれを片っ端から引き抜いていく。 しばらくは巻き上げられる網のスピードに合わせて魚を引っこ抜いていくが、だんだん手が追い付かなくなっていく。 なかなか網から外れないような時はマキリで容赦なく網を切り裂いていた。
まるで戦場のようで、声をかけられるような状況ではない。 隅っこの邪魔にならない所でこっそりと覗き見るように見学した。
刺し網漁とはいえ完全に狙ったものだけ獲れるわけではない。 ちょくちょく関係のない魚やイカが混ざってくるが、中には売れるものもあるようだ。 そういったものは手早く別の箱へ分別されていた。
逆に売り物にならないものはそのまま海に放り投げていた。 魚が海に落ちると周囲を飛んでいた海鳥が一斉に集まってきて奪い合いを始める。
その多くはカモメの仲間だったが、時々オオワシやオジロワシが参戦してくる。
カモメは獲物をくちばしで捕えるが、ワシはその鋭い爪のついた足で言葉通り鷲掴みにする。 そのまま落ち着ける場所まで運び、ゆっくりと食べるのだ。 カモメは獲物を丸飲みするのに対してワシは鋭いくちばしで食い千切って食べる。 鳥の種類によって行動に様々な違いがあるのはなかなか興味深い。
漁船の周りには常に海鳥の群れがまとわりついていた。
風を利用しているのか、羽根を動かしていないにも関わらず同じ高度を保ちつつ船とまったく同じペースでついてくる。 まるで空中で静止しているかのようにも見える。 そのまま手を伸ばしたら捕まえられそうだが、果たしてうまくいくものだろうか。
今日は5本の網を上げる予定だったが、予定が変わって4本となった。
4本目の網をを引き揚げ終わったら港へ戻り、獲った魚を運び降ろす。 まだ昼頃だったが、それで各自解散となった。
なんだかんだで知床峠から羅臼の町に下りてきた時から2週間が過ぎていた。
想像以上に羅臼を満喫してしまったが、それと並行して探していた仕事はなかなか見つからない。 通年で仕事のありそうな酪農関係を中心にいくつか打診してみてはいるが、今のところ色よい返事はない状態だ。 取り合えずこのまま羅臼でいつ来るかわからない返事を待っているのも効率が悪い。 また少し歩きながら気長に連絡を待つことにした。
何にしても仕事があるとすればここから西の地になる。 羅臼は充分楽しんだのでこれで区切りとし、西の方へ向かって歩き始めた。