旅も一区切りついたので、消費した資金を回復させようと思い短期のアルバイトを探す。
この時期は農業系も漁業系もあまり求人がないようだが、酪農関係はいくつか求人が出ていた。 いくつか見繕って連絡を入れ、返事を待つ間の時間でもう少し旅をすることにした。
羅臼で食べる最後のランチは民宿まるみ食堂。 羅臼港から標津方面に8㎞程行った所にある食堂だ。 雪がだいぶ強いので休憩も兼ねて暖簾をくぐった。
注文したのはゴールデンポークカツ定食。 ゴールデンポークというのは地元のものではなく仙台から取り寄せたものらしい。 評価の高いブランド豚だということでとても美味しかった。
食べ終わって外へ出るものの、相変わらず雪が降り続いている。 店主が言うにはこの辺りでも稀にものすごい暴風雪に襲われることがあり、そんな時はこの道が通行止めになって半島沿いの集落が孤立してしまうそうだ。 今日の雪などまだ可愛いということだろう。
知床半島の東岸を海に沿って南下する。
翌朝には雪は落ち着いていた。 散々降り積もった雪を朝から除雪車がせっせと道の脇へと押しやっている。 穏やかになった根室海峡には一人乗りらしき小型の船がいくつか浮かんでいた。 あれはウニ漁のものだろうか。
知床半島の付け根付近で羅臼町から標津町へ入る。 山がちだった周囲の風景がだんだんと平坦なものへ変わっていく。
標津町に入る所にあった看板には「the most beautiful villages in Japan 標津町」と書かれていた。 もうだいぶ前になってしまうが、赤井川村を通った時にも見かけた文字だ。 「日本で最も美しい村」連合。 この標茶町もそれに加盟しているようだ。
今回の旅で通ってきた中では他にも黒松内町、美瑛町、清里町などが加盟しているとのこと。 確かにどの町にもそれぞれ良い景観が存在していた。
朝の海岸沿いからは相変わらず国後島が良く見えている。 羅臼山も見えているが、羅臼で見ていた形とは少し違う印象だ。
海沿いから知床半島の方を見ると最近降った雪で白さを増した山並みが並んでいた。
標津港の近くへ来ると何件か飲食店を見かけたので、その内のひとつファミリーレストランいし橋に入ってみた。
よくあるメニューから個性的なメニューまで豊富なメニューが並んでいる。 その中で気になった「俺ライス」というものを注文してみた。
オムライスをもじったかのような名前のそれは、今までに見たことがない料理だった。 大盛りのオムライスの上に焼いた豚肉が載せられ、それを餡掛けにした上にマヨネーズをかけてある。
ジャンクフード的な趣のあるその見た目にやや戸惑ったものの、口に運んでみると思いの外食べやすい味付けになっていた。 なかなかやるではないか。
標津の町を抜ける辺りで南西へ舵を切り、海岸を離れて内陸へと入っていく。 途中で一泊しながら森と畑に囲まれた中を十数km歩いていくと中標津の市街地へ差し掛かった。
この頃、一本の電話が入った。 農協を通じて仕事の打診をしていた牧場からの返事だ。 一度は受け入れてくれそうな雰囲気があったのだが、先方の都合でやはり中止したいと言われたそうだ。 残念だが仕方がない。 他に連絡待ちの牧場があるのでそちらの返事に期待する。
ちょうど市街地の中心付近にあった食事処やまやでランチ。
豊富なメニューの中からやまやスペシャルを注文。 チキンライスに大きな唐揚げ、パスタの上には目玉焼きの乗ったハンバーグ。 ボリューム満点のスペシャルメニューだ。 大盛りや特盛りもできると書いてあるが、通常サイズでもかなりのボリュームがある。
味にこだわった料理も良いが、長旅ではやはりこういったリーズナブルでボリューム満点という料理もありがたい。
中標津の市街地から北西の開陽地区がある方へ進む。
すでに3月も下旬に差し掛かり、だいぶ暖かい日が増えてきた。 今日は特に気温が高く、手元の温度計では12度まで上昇している。 マイナス12度ではなく、プラス12度だ。 マイナス20度が当たり前だった日々がもはや懐かしい。
中標津空港の脇を抜けると中標津町の開陽地区へ入った。 防風林に囲まれた牧草地が広がり、その中に点々と牧場が散らばっている。
中標津町は市町村単位での生乳生産量が日本第2位で、非常に酪農が盛んな地域だそうだ。 ちなみに第1位は中標津町の南隣にある別海町で、第3位は西隣にある標茶町だ。 生乳の生産量トップ3がこの地域に集中している。 この辺りは日本屈指の大酪農地帯なのだ。
しかし牛乳の名産地はどこかと聞かれて中標津や別海の名前が出て来るかと言うと、思い浮かばない人が多いのではないかと思う。 逆になんとなく十勝の名前を思い出す人が多いのではないだろうか。 もちろん十勝も生乳の大産地なのは間違いないのだが、この辺りはブランド戦略によって差が出ているのだろう。
この辺りはだいぶ過疎化が進んでいるようで、道沿いにあった開陽小学校も5年前の2015年をもって閉校したという。 この石碑もこの地に住んでいた人が残したものだろうか。 「この里に 住みしあかしを 碑に刻む」と刻まれている。 建立者の部分は雪に埋まって見えなかった。
綺麗に区画分けされた牧草地の中を真っ直ぐに道が延びる。
暖かい日が増えたおかげで路面の雪は完全に無くなっていた。 非常に歩きやすいのは良いのだが、厳冬期用の靴しか持っていないので足が暑くて仕方ない。
開陽地区の北西の端にある開陽台へ足を運ぶ。 道路は冬期閉鎖されているものと思っていたら、予想外にも駐車場までしっかりと除雪されていた。
開陽台は小高い丘の上にある展望地で、開陽地区周辺に広がる大酪農地帯を一望することができる。 牧草地を囲むように格子状の防風林が張り巡らせてある。 この格子状の防風林は過去に宇宙から撮影された映像でも確認できたそうだ。
開陽台を下り、ここから西に20km程行ったところにあるからまつの湯を目指す。 からまつの湯は地元の人が管理する無料の露天温泉だ。 なかなかバイト先が決まらないので温泉でも入って気分転換を図りたい。
雪国でよく見かけるこれは吹払い柵というものだそうだ。 最初は風を防ぐものかと思っていたが、むしろ風をコントロールして路面に吹き付け、雪を吹払う役割をしているのだと後になって知った。
今日は空一面が雲で覆われていて、下は白い雪原、上は白い雲と少し面白い景色となっている。 白というよりは灰色と言った方が適切カモしれないが、この際気にしないでおこう。
開陽台から丸一日歩いてからまつの湯に辿り着く。
さっそく入ろうと服を脱いだ後に、湯船の湯がとんでもなく熱いことに気付く。 これは50度どころじゃない。 60度以上はありそうだ。 羅臼にあった熊の湯のように我慢すればぎりぎり入れるとか、そういったレベルの熱さではない。 これは火傷するレベルの熱さだ。
恐らく源泉の温度が非常に高いのだろう。 そんな場合はどこかから水を引けるようになっているはずだ。 近くを探すと水が出るホースを見つけたのでそれを湯船に引き込んだ。 ホースからはかなり冷たい水が出ていたが、湯船が熱すぎてなかなか適温にならない。
それを待つ間に改めて服を着るのも面倒だったが、全裸で待つにはさすがに寒い。 洗面器にお湯と水を混ぜて体にかけ続け、適温になるのを待った。 10分以上かかったが、ようやく入れるぐらいまで温度が下がって来たので全身を湯船に沈めた。 次からは知らない温泉に入る時は脱ぐ前に湯船の温度を確かめることにしよう。
その日の夕方からみぞれが降り出し、夜中に雨に変わった。 大粒の雨がテントのフライシートをバチバチと叩く。 思えば北海道に渡ってからというもの、散々雪は降ったが雨になったのは初めてだ。 だんだん冬よりも春を感じることの方が増えてきた気がする。
翌朝には珍しい光景が見られた。
雨氷だ。
雨氷は過冷却状態で落ちてきた雨が木などに当たった直後に凍り付くことで見られる現象だ。 霧氷の氷とは異なり透明でつるりとした氷になる。 その性質上気温が0度付近の時にしか見られない。 気温が上がればただの雨になるし、気温が下がれば雪になってしまうからだ。 今までの人生でもまだ3回ほどしか見た記憶がない。
雨氷の風景を楽しみながら歩いていると、足元でガサガサと音がした。 足を止めて目を向けると小さなネズミが足元のすぐ近くで動きを止めていた。 こちらに気付いているのかいないのか、身を潜めているつもりなのかもしれないが丸見えだ。
脅かさないように慎重に後ずさりしてカメラを構える。
幸いネズミは逃げる事なく枯草の散らばる地面で何かを探している。 しばらく観察していると、小さな氷の欠片を手で持ち上げて舐め始めた。 水分補給をしているのだろう。
少しだけ標茶町を横切ってそろそろ別海町に入ろうかというころ、ようやくバイト先が決まった。 その電話を受けた場所から10km程の場所にある別海町の牧場だ。 牧場には明日向かうと約束して電話を切った。
しばらく住み込みになりそうなので、最後に美味しいお肉を食べていく。
標茶町虹別にあるカフェレストラン カントリー。 ポークチャップという耳慣れないがなんだか美味しそうなメニューがあったので注文してみる。 豚肉のソテーをケチャップベースのソースで仕上げたような料理だった。 肉はとても美味しく満足のいく一品だ。 コーヒーもお替り自由だったので少しのんびりとくつろがせてもらった。
翌日には約束通り牧場を訪れ、そこからしばらく牛の世話をして過ごした。
慣れない牧場の仕事に四苦八苦していたらあっという間に時間が過ぎていった。 いつの間にか牧草地を覆っていた雪もすっかり無くなり、緑色の草と黄色いタンポポで埋め尽くされていた。 それに合わせて放牧される牛も見るようになった。
5月も終わろうかという頃、契約の最終日が訪れる。 半年近くにも渡る北海道での長い生活もこれで終了となった。
牧場の人達に見送られてバスで空港へ向かい、北海道の地から飛び立った。