普段の旅では明確に目的地を決めないで動くことも多いが、今回は最初の目的地だけ決めていた。 龍神杉だ。
この龍神杉は過去二度の屋久島旅では訪れたことがなく、そもそも当時はその存在も知らなかった。 龍神杉の事を知ったのは二度目の屋久島旅から帰って地図を見返していた時のことだったと記憶している。
縄文杉から北の方角に龍神杉という文字が書かれているを見つけたのだ。 しかし当時持っていたその地図には龍神杉の名前だけが書かれていて、そこへ至る登山道は書かれていなかった・・・と思う。 それなりに登山経験は積んでいたものの道なき道を行くほどの自信は持ち合わせておらず、気になりはするものの行くのは無理だろうと半ば諦めていた。
ところが今回三度目の屋久島を訪れるにあたり地図を買い直したところ、その龍神杉へ繋がる道が書き足されているではないか。 それを見た瞬間むくむくと好奇心が湧き上がり、龍神杉のことが頭から離れなくなってしまった。 次に屋久島では必ず見に行こうと心に決めた瞬間だった。
宮之浦港を出て白谷雲水峡へ続くバス通りへ進み、途中で西に逸れて屋久島総合自然公園へ向かう。 その公園の脇から未舗装の神之川林道へ入りさらに奥へ進んでいく。
背中の荷物には屋久島に渡る前に仕入れておいた約2週間分の食料と燃料が入っている。 カメラ機材やキャンプ道具一式なども入っており、35㎏はあるだろうという荷物がずっしりと体にのしかかる。 悪いことに先日罹ったインフルエンザで体力がだいぶ落ちていたようで、想像以上に足の動きが悪い。
天気は朝から安定せず、宮之浦港を出てからというもの弱い雨が降ったり止んだりを繰り返している。 真冬とはいえ亜熱帯の屋久島では比較的気温が高く、多少なら濡れても寒さに震えることはない。 極めて多湿な屋久島では下手に雨具を着ると余計に汗が出てそれはそれでびしょびしょになってしまう。 汗で濡れるか雨で濡れるか。 どっちにしろ濡れることは避けられないが、果たしてどちらがマシだろうか。
しばらく神之川林道を歩いていると前から一台の車が下りてきた。 脇に避けて待つと車はすぐ目の前で停まり、運転手が声をかけてきた。 どうやら林業の関係者のようだ。
「どこまで行くのか」
そう聞かれたので「龍神杉まで」と答えると、
「あそこはすごく良い所だから是非楽しんで欲しい」
そう言葉をかけてくれた。 現地の、しかも山で働く人間がそうまで言うとはかなり期待できるのではないだろうか。
やがてひとつの分岐が現れた。 脇の看板には「龍神杉歩道案内図」と書かれている。 ここが龍神杉歩道あるいは益救(やく)参道とも呼ばれる登山道の入口で間違いない。 かなり急なコンクリートの坂を登ると酷く荒れた林道へ繋がり、やがて林道が行き止まりになるとそこから登山道が始まっていた。
林道の周辺は植林帯が目立ったが、登山道に入ってから先は自然林へと変わっていた。 木々も岩も苔むしていて風景が全体的に緑がかっている。 冬なので落ち葉の茶色が少し目立つが、暖かい季節であればより一層緑が濃くなるのだろう。 そんな中まばらに混ざるヒメシャラの明るい茶色が良いアクセントになっている。
道は全体的に石や自然な風合いの木材を使用していて、森に馴染む雰囲気で整備されている。 がっちりとした木道などは興ざめするので、こうした道づくりをしてくれるのは非常に嬉しいところだ。 あまり人が通らないのか、足元の石にも程よく苔が残されている。
後から知ったことがだが、この道が正式に開通したのは2007年と比較的最近のことらしい。 道の様子を見た印象ではもしかしたら昔から使われていた道を再整備したのかもしれない。 今の時代にここまで手間のかかる石段を積むことはほとんどないだろうし、益救参道という名前からしても昔からお参りに使われていた道なのではないだろうか。 そうであれば龍神杉の名前だけが地図の中にぽつんと書かれていたことも納得できる。 昔は道が使われていて龍神杉も知られていたが、いつしか道が通れなくなり、それでも龍神杉の名前だけは伝えられてきたという可能性だ。 思いの外歴史が深い道なのだろうか。
益救参道の途中でトロッコの軌道跡を歩く部分があった。 昔の林業で使われていたもののようだ。 すでにレールは全て取り外され、古い枕木だけが道に沿って並んでいる。 登山道は途中で軌道跡を外れていったが、軌道跡はその先へまだ続いているようだった。
雨は相変わらずしとしとと降り続き、レインウェアを着るかどうか迷っている間にすっかり全身びしょ濡れになってしまった。 こまめにウェアを脱ぎ着すればいいのだが、重い荷物を背負っているとそれもつい面倒になってしまう。 それにやはり体調が芳しくない。 病み上がりの体には少々無茶だったか。 やむを得ずビバークを挟みながらじっくりと登ることにする。
緩急ある登山道を無理のないペースでゆっくりと登り続ける。 オフシーズンとはいえまるで人に会わないなと思っていたが、それはこの道のせいかもしれない。 整備状態は比較的良いのだが、歩いてみるとなかなかにハードな登山道になっている。 コースタイムは林道の分岐から4時間程と書かれているが、その行程のほぼ全てが登りっぱなしだ。 急登混じりの完全な登山ルートであり、観光客が気軽に来られるような場所ではない。 もしも縄文杉や白谷雲水峡などを歩くような軽い気持ちで来てしまえば酷い目に遭うことだろう。
何度目かの急登が一息つくと少しなだらかで広い斜面に出た。
ここまでと同じように深い森が広がっている。 しかし何が、とは言えないが、その雰囲気がここまでとはやや異なる気がする。
少し進むとひとつの巨大な切り株に行き当たった。 明らかに人の手で切られたものだ。 その巨大さで有名なウィルソン株程の大きさではないが、中に数人は入れるぐらいの太さがある。 登山道側の側面が入口のように切り取られていて一見中で雨宿りできそうにも見える。 しかし残念ながら天井がなくそれは叶わなかった。
しかし木が切られた形跡があるということはここから切った木を運び出したということだろうか。 登ってくる途中にトロッコの軌道跡があったが、そこまで下ろすにしてもかなりの距離と傾斜がある。 そうまでして運び出す価値があるのが屋久杉というものなのかもしれないが、よくもまぁそこまでして、というのが正直な感想だ。
周辺に視線を巡らせるとあちこちにかなりの大木が見える。 高度計の示す数字は地図に書かれた龍神杉のある標高とほぼ一致していた。 地形的にもこの辺りに龍神杉があると思うのだが、さて、一体どれがそうなのだろうか。 案内の看板も何も見当たらないのでひとまず道に沿って進んでみる。 立派な杉が全て龍神杉に見えてくる。 そのくらい見事な木がいくつもあった。
5分か10分か、龍神杉を見つけるまでさほど時間はかからなかった。 先程の切り株から少し進むと手作り感のある少し古びた木製のデッキに辿り着いた。 そこに立つと正面にひと際巨大な一本の杉が見えた。 それを見た瞬間確信する。
あれが龍神杉だ。
一瞬遅れてその根元に「龍神杉」とだけ書かれた小さな看板が刺さっていることに気付く。 自分の直感は間違っていなかったようだ。
ここに来るまでにも見事な大木はいくつもあったが、龍神杉の迫力は群を抜いている。 その大きさは縄文杉に勝るとも劣らない。 樹勢に関して言えばこちらの方が旺盛だろう。 周辺に立ち並ぶ木々も決して細くはないのだが、龍神杉と並べて見ると針か爪楊枝のように見えてしまう。
縄文杉を初めて間近で見た時もその巨大な存在感に圧倒されたものだが、その時と同じぐらいの感動を改めて今感じている。
地図によればここには龍神杉の他に雷神杉と風神杉という杉もあるようだ。 それらを合わせて三神杉などと呼ぶ人もいるとのことだが、さて、どれがそうなのだろうか。 龍神杉には名前の看板が立てられていたが、それ以外に看板の類は見当たらなかった。 もしかしたらこれだろうか、という木はいくつかあったものの正解を確認する手段がない。
とりあえずこの見事な龍神杉の姿だけでもじっくりと撮影したかったのだが、あろうことかレンズが酷く結露して元に戻る気配がない。 連日降り続く雨で湿度は高止まりしている。 このまま待っていても回復する見込みはほぼないだろう。 それにだいぶ標高が上がっているので気温も低くなってきている。 あまりじっとしていると体も冷え切ってしまう。
しばし悩んだものの安全を確保するべく高塚小屋を目指すことにした。 写真をしっかり撮れなかったのは残念だが、無事に龍神杉に出会えたことはひとつの大きな成果と言える。 ここまで頑張った甲斐があったというものだ。
地図上の一般登山道としてはここで行き止まりとなっているが、高塚小屋まで続く旧宮之浦歩道が薄い線で描かれている。 入口がわかりにくかったので地形と方角を見ながら進んで行くと、藪を掻き分けた先に登山道を見つけた。 旧道ということであまり整備されていないようだが所々テープが巻かれている。 それを頼りに進んで行くが、道が消えかけている所もいくつかありかなり迷いやすい。 妙な所へ入り込まないよう注意しながら先へ進んでいく。
2時間程歩いただろうか。 だいぶ疲労が積み重なってきた頃、一本の大きな木が現れた。
歴戦の勇士を思わせる荒れた幹。 かなり見事な一本で名前がついていてもおかしくない程だが特に看板のようなものは見当たらなかった。
この旧宮之浦歩道の周辺に広がる森は実に見応えのある自然林だ。 温暖な気候のせいか冬でも青々としている木が多い。 こんな天気でもなければもっとゆっくりと景色を楽しみながら歩きたいところだが、それも程々にして先を急ぐ。
後半になるとかなり道がはっきりしてきて自然とペースが上がる。 やがて見覚えのある高塚小屋の姿が目に入ると一気に緊張が解けた。
高塚小屋の中は無人だった。
すっかり歩き疲れたので今日はここで泊まることにする。 高塚小屋に泊るのは今回で3回目になるか。 初めて泊った15年前はコンクリートブロックを積み重ねた簡素な小屋だったと記憶している。 当時の写真があっただろうかと思い探して見ると一枚だけ残っていた。
内部の写真は残念ながら撮っていなかったらしい。 記憶では入ってすぐがコンクリートの床で、奥に木が貼られた二段の寝床があったはずだ。 当時は夏休みだったせいもあって寝床はびっしり人で埋まっていた。 それでも泊れるのはせいぜい10人ちょっとといったところだっただろうか。 その中に押し込まれて寝たのを覚えている。
それに比べると今の新しい高塚小屋はかなり良くなっている。 収容人数はそこまで大きく増えていないが、押し込めば20人ぐらいは泊まれるか。 何よりガラスコーティングした紙の筒で作ったという壁が薄く光を通すので中がそこまで暗くない。 明るいと言えるほどでもないのだが、少しでも光を感じられるという状況はそれだけで落ち着くものだ。
簡単に寝床を整えると強い睡魔に襲われるが、寝てしまう前に水だけは手に入れておきたい。 雨が降っていれば雨水を溜めるのだが、歩いている時はずっと降っていたくせに、こういう時に限ってタイミング悪く止んでいた。
最寄りの水場がある縄文杉まで足を運ぶ。 展望デッキからは以前と変わらぬ縄文杉の姿が確認できた。 夏に来た時はうんざりするほどの人混みがあったこの場所も今はだいぶ閑散としていた。
それから天候待ちの長い戦いが始まった。
この高塚小屋はおよそ1300m程の高さにある。 いかに温暖な屋久島と言えど、真冬のこの時期ならば雪になっておかしくない高さだ。 しかし今年はかなりの暖冬のようで、この標高にも関わらず気温は5度前後をうろうろしている。
余程の大荒れでもない限り先に進むこと自体は可能だが、雪の無い冬山を歩いても面白くない。 このまま進んだとしても何も季節感の無い中途半端な写真しか撮れないだろう。 幸いかろうじてスマホの電波が入るので寒気の様子を見ながらその時を待つことにした。
一夜明けると天気はかなりの荒れ模様となっていた。 それも午後になると少し落ち着いて来たので、様子を見ながら散歩に出ることにする。 昨日水を汲むついでに見に行った縄文杉へ再び足を運ぶ。
以前の旅で訪れた際も感じたことだが、この縄文杉は杉のセオリーからはだいぶ外れた独特な姿をしている。 杉と聞くとすらりと真っ直ぐ伸び上がる幹を想像するのだが、縄文杉のそれはずんぐりと太く、ごつごつしていて無骨な印象だ。 枝も数が少なくその一本一本がやけに太い。 何も知らない状態で「この木の種類は何か」と聞かれたら答えられる自信がまったくない。
杉と聞いてイメージするのはやはりこれだ。 この杉と縄文杉が同じ種類の木だと言われても正直な所ピンとこない。
ちなみに現在の縄文杉は展望デッキからかなり離れているので遠目に見る事しかできない。 20mぐらいは離れているだろうか。 そのせいで今ひとつふたつ迫力に欠ける。 いや、はっきり言ってしまえばがっかりだ。
これは15年前の2005年に撮影したものだが、当時は縄文杉のかなり近くを登山道が通っていた。 むしろ近すぎるせいでぎりぎりまで下がっても全体が写真に納まらないと嘆いたものだ。 まさに見上げる巨木といった表現が相応しく、その存在感や生命力、力強さを存分に感じることができた。 しかし今となってはもう二度とその感覚を味わうことはできないだろう。
よく見ると昔の写真にある枝の一本が今の写真には無い。 そういえばもうだいぶ前になるか、縄文杉の枝が折れて落下したというニュースを聞いた覚えがある。 その折れた枝の部分だけでも太さが1m程もあり、枝単体の樹齢も1000年に迫ると聞く。 まったくとんでもないスケールの話である。
2日目、3日目と停滞が続くにつれだんだん退屈になってくる。 天気はかなりの大荒れとなり外に出ることもままならない。 おかげで水が手に入りやすいのはありがたいが、そんなことよりも早く雪に変わってくれと言いたくなる。
停滞中に小屋を訪れたガイドに聞いたところ、今年の暖冬は例を見ない程の暖かさで宮之浦岳の山頂付近ですらまったく雪が降っていないのだという。 もしかして今年の冬はもう雪が降らないまま終わってしまうのではないか。 そんな絶望的な考えが頭をよぎる。
それでも希望を捨てずひたすら待ち続ける。
わずかな晴れ間に小屋の周辺を散策するが、すぐに雨が降り出すのであまり遠くまで行くことができない。 時折休憩しに小屋を訪れる人との雑談で退屈を紛らわしながら一日を過ごす。
停滞が4日目に入る。
そろそろいい加減にしてくれと思い始めていた頃、雨がみぞれに変わった。 水気の多いべちゃりと濡れた雪だが、それでも間違いなく雪だ。 気温も-0.5度とわずかではあるが氷点下に転じた。 これなら宮之浦岳の山頂付近は確実に雪になっている。
ついに出発の時が来たのだ。
そう言いたいところだが、天気予報を見ると今日は雷の予報が出ている。 少しでも早く登りたいのはやまやまなのだが、山の中で雷に遭うことだけは御免こうむりたい。 逸る気持ちを抑えてもう一泊していくことにする。
そして翌朝。 高塚小屋で迎える5回目の朝。 昨日までずっと低い値を示していた気圧計の数値が上昇に転じた。 気温もさらに下がったようで、昨日はみぞれだったのが完全に雪へと変わっていた。
今度こそ本当に出発の時が来た。
散々待たされた分、これから素晴らしい景色が見られるはずだ。 そんな期待を胸に秘め、宮之浦岳方面へ向かい再び歩き始めた。
気付けば1月も最後の一日となっていた。