小杉谷集落跡の休憩所で目を覚ますと、真っ暗な闇の中で水の滴る音が静かに響いていた。 昨日見た天気予報通りではあるが、やはり降ってきたか。 昨日丸一日続いたような快晴はやはり屋久島としては珍しいものだったのだろう。 すっかり普段通りに戻ったというわけだ。
そのままごろごろとしていると、まだ暗い中ヘッドライトを点けた登山者がぼつぼつと登ってきた。 縄文杉を日帰りする登山者達だろう。 入れ替わりで20人程が一休みしては出て行った。 自分も出ようかと迷うがやはり雨の中歩く気にはならず今しばらく様子を見ることにする。 周囲がすっかり明るくなる頃には登山者の姿は途絶えていた。
そのまま休憩所で雨の音を聞いていると目の前の登山道にヤクザルの群れが現れた。 先程から鳴き声だけは森に響いていたが人の気配がなくなったのを見て出てきたのだろう。 こちらには気付いているようだが距離があるせいか特に警戒している様子はない。 地上で、あるいは樹上で各々餌を探し回っている。
その中の一頭が立ち止まり、じっと空を見上げていた。 早く晴れてくれないかとでも思っているのかもしれない。
やがて彼らも去ると再び雨音だけの静かな空間が戻ってくる。 その音に耳を傾けていると時折人の会話かあるいは歌声のような声が混ざっていることに気付く。 何度かそんなことがあったが、どれだけ待っても目の前の道を人が通る気配はない。 どうやら幻聴を聞いたようだ。
いつまでも止まない雨をまだかまだかと待っていると、今度は下山してくる登山者が姿を見せ始めた。 早朝に登って行った人達だろう。 もうそんなに時間が経ったのか。 彼らを再び今度は逆方向に向けて見送っている内に夜が更けていく。
小杉谷集落跡で二度目の朝を迎える頃、ようやく雨が止んだ。 手早く朝食を済ませて休憩所を後にする。 今日も今日とて暗い内から登っていく登山者達。 彼らに紛れて大株歩道の入口を目指す。
雨は止んでも空の雲は分厚く、日の出を過ぎてもまだ薄暗い。 土曜日ということもあってかオフシーズンだというのにそれなりの人数が目に入る。 昨日の雨の影響か、登山道の横を流れる安房川が轟々と激しい音を立てていた。
大株歩道は縄文杉へと続く屋久島で最も人気のあるトレッキングルートだ。
大株歩道に入ると綺麗に整備された木道が続き、非常に歩きやすくなっている。 さすがは国立公園、さすがは世界自然遺産・・・なのだろうが、個人的にはこの雰囲気が好きではない。 言葉を選ばずに言うならば、はっきり言ってうんざりする。 あまりにも人の手が入りすぎていて自然を楽しむというよりも自然を見せつけられている気分になってしまう。 自然保護のためという名目なのは理解できるが、ここまで大々的に整備しなければ保護できないような状態に陥った時点で自然保護に失敗しているような気もする。
もう何年も前に折れてしまった翁杉の横を通る。
初めて屋久島を訪れた2005年にはまだ見事な立ち姿を見せていたが、その数年後に倒れてしまったのだ。 当時の写真を探してみたが手ブレの酷いよくわからない写真が数枚あるのみだった。 あの頃の姿を思い出そうと思ってももはやはっきりとしたイメージが湧いてこない。 ものすごく立派な杉だと感じた記憶はあるのに姿を思い出せないのがなんだか悔しい。 まさか二度と見ることができなくなるとは思ってもみなかった。 もっとしっかりと目に焼き付けておけば良かったと今更ながらに感じている。
ウィルソン株に辿り着く。
数ある生きた屋久杉はもちろん魅力的だが、切り株となってもなお愛されるこのウィルソン株は異色な存在だ。
この巨大な杉の切り株は400年以上前に豊臣秀吉が切らせたという話が今に伝わっている。 胸高周囲が13.8mだというから直径は4m程だろう。 信じられない程の大きさだ。
内部は空洞になっていて10畳程の広さがあると言われている。 下手なワンルームよりも広いのではないか。 その一角には小さな社が祀られていて、その横をちょろちょろと湧水が流れている。 小さくも神秘的な空間だ。 昔の写真を検索すると切り株の前に木の鳥居が立てられている写真も見つかる。 切り株になってからもそれぞれの時代で大切にされてきたようだ。
その内部から上を見上げると空洞がハート形に見えるポイントがある。 誰が最初に見つけたのかは知らないが、今ではウィルソン株でこれを見るのがすっかり定番となっている。
外に出て改めて眺めると何度でもその大きさに驚かされる。 中にいる人間と対比すると良くわかる。 背後に並ぶ杉も直径1mはありそうな大木揃いだが、それが何の変哲もない普通の杉に見えてしまう程だ。
400年以上前に切り倒されたこの切り株だが、もしその時に切られず更に400年の年月を重ねていたら一体どれ程の姿に成長したのか。 そもそも切られる前はどんな姿だったのか。 もはや確認する術がないのは至極残念だ。
ついでと言ってはなんだが、ウィルソン株のすぐ脇から入れる自然観察路を見ていく。 この道の存在は知っていたが入ったことはなかったので良い機会だ。 ウィルソン株の裏手の急な斜面を上に向かって道が延びている。 冬ということもありこれといって目立つ何かが見られたわけではないが、自然のまま残された森の雰囲気を味わいながら歩くことができた。
自然観察路は再び大株歩道へと合流し、さらに進むと大王杉へと辿り着く。 この杉は縄文杉が見つかるまでは屋久島最大の屋久杉だと言われていたそうだ。
見事な巨木だが少し傾いても見える。 これほどの巨体となればその質量は想像を絶するものになるはず。 以前折れて落ちた縄文杉の枝1本だけで1.2トンあるそうだ。 木全体となれば何十トン、あるいは百トンを超えるのかもしれない。 僅かな傾きとはいえその根元にはとてつもない力が常に加わっているはずだ。 それを支えることができる根の強さというものもまた驚異的と言える。
そして旅の序盤でも訪れた縄文杉。
これにて山岳エリアをぐるりと一周徒歩で繋ぐことができた。 ヤクスギランドから荒川登山口までの車道歩きなどほとんど面白みもなく単に「すべて歩いた」という結果のためだけに歩いたようなものだったが、それもまた良いものだ。 何もないかもしれないけど、もしかしたら何かあるかもしれない。 そんな期待を込めて歩くのもまた楽しいものだ。
今日が2月8日。 この先の高塚小屋から宮之浦岳方面に向かって出発したのが1月31日だったので8日ぶりに戻ってきた形だ。 屋久島の山に入ったのは1月24日なのでそこから数えれば16日目となる。 もうずいぶん長いこと山の中にいる。 さすがに食料が乏しくなってきたし、体や衣服の汚れも酷い。 風呂にも入れないし着替えもしていないので頭やら背中やらあちこちが痒い。 いい加減下山して綺麗さっぱり洗い流したい気分だ。 今日は高塚小屋で泊まるとして、後どこかで一泊したら下山するぐらいが良いだろうか。
17日目の朝。最後にもう一度だけ縄文杉を見に行き、それから下山を開始した。
ついでにもう一度龍神杉を見ておきたいと思い旧宮之浦歩道へ入り込む。 しばらくは明確な道が続いているので来た時同様それを辿って行く。 やがて往路でも見た大きな杉に行き当たった。
登りで通った時は雨でゆっくりと撮影できなかったので改めてじっくりと撮っていく。 やはり名前を示すような看板は見当たらないが地図を見るとこの付近に太古杉という名前が書かれている。 これのことなのだろうか。
そのままピンクテープを頼りに進んでいくが途中で違和感を覚えた。 龍神杉への道は尾根近くをトラバース気味に移動する道なので標高の変化は少ない。 しかし先程からだいぶ下りが続いている。 ここまで大きく標高を下げるような場所はなかったはずだ。
しかも道には綺麗な木の階段が付けられている。 こんなものは見た覚えがない。 どこかで別の道に迷い込んだか。 地図を改めて確認するがそれらしき場所に登山道のラインはなく、薄いラインの表示すら存在しない。 しかし整備状況からするにこれは明らかに登山道だし、所々手入れをした痕跡もあるので放棄された道とも思えない。 これだけしっかり整備された登山道がまったく地図に載っていないというのはどういうことだろう。
何にせよ確実なのは道を間違えたということだ。 引き返しても良いのだが、幸い道の状態は良いのでとりあえず進んでみることにした。 最悪道が寸断されていたりしたら戻れば良い。 水もそこら辺で豊富に手に入るので何とでもなる。
小さな滝を2つ程横切ったか。 そのまま下りていくとどこかの林道の終点に繋がっていた。 改めて地図を確認するとそれらしき林道が記載されている。 しかしやはり通ってきたはずの登山道はまったく記載がない。 一体あの道は何だったのだろうか。
疑問を感じつつもさらにそこから林道を歩き続けると無事に一般道へ出ることができた。
道から見下ろせば宮之浦集落が見える。 このまま車道を下れば下界はさほど遠くない。 宿をとって風呂に入りのんびり体を休めたいという思いも強い。 しかし食料はまだ1日分ある。 切り詰めれば2日分になるだろう。 ならばもう少しあがくか。 そう思い上へ、白谷雲水峡へと足を進めた。
白谷雲水峡に入る頃にはパラパラと雨が降り始めていた。 ゆっくりと見て回りたい所ではあるが取り敢えず白谷山荘へ急ぐことにする。
遊歩道には人の姿が散見されたが小屋には誰もいなかった。 ひとまず奥の部屋に荷物を置き寝床の準備をする。 ここは無人の避難小屋だが水場も目の前だしトイレも中にある。 しかも照明まで点くというなかなかに贅沢な環境だ。 もっとも下界から電気を引いているというわけではなく小規模な水力発電と蓄電を併用したものらしい。 電気の使い過ぎには注意が必要だ。
夕方頃になると雨がみぞれに変わった。 さらに夜中には雪に変わったようだが、朝起きた頃にはすでに止んでいた。 あまり長くは降らなかったようで、残念ながら薄っすらと白くなった程度だった。
まだ星が見える時間に白谷山荘を出て太鼓岩へ足を運ぶ。
太鼓岩は白谷雲水峡の奥にある天然の岩の展望台らしい。 話には聞いていたのだが実際に来るのは初めてのことだ。 登山道から分岐へ入りやや急な道を登るとその太鼓岩の上に出た。
岩の上からの見晴らしは非常に良く、眼下の広大な森と宮之浦岳を始めとする山岳地帯が一望できた。 今日は満月だったようで、西の空には真ん丸な月が明るく輝いている。 のんびりと景色を眺めながら日の出を待つつもりだったが、いかんせん風が強く体がどんどん冷えていく。 持ってきたダウンジャケットを着込み、風の当たらない場所まで下がって時を待つ。
やがて満月が西の稜線に沈み、その反対側から太陽が昇ってきた。 今の季節では眼下の森も味気ない色をしているだけだが、春になるとあちこちにピンク色のヤマザクラが咲いて森を彩るという。 それはきっと美しい光景だろう。 あるいはせっかくの冬なので一面が白く染まった屋久島の姿も見てみたかったが、温暖な屋久島で果たして下の方まで雪が積もるものだろうか。
しばし朝の屋久島を眺めてから白谷山荘へ戻る。 来る際は暗くてわからなかったが帰り際には公家杉と武家杉があることに気付いた。 以前白谷雲水峡へ来た時にはこんな名前の杉はなかったと記憶している。 どうやら近年に名前を公募して新しく名付けられたものらしい。 写真の手前が武家杉で奥が公家杉だったか。
白谷小屋へ戻ると手早く荷物をまとめ下山を開始する。 下山はお気に入りの原生林歩道。 出口まで真っ直ぐ下りるよりもだいぶ距離が長くなるが、その名の通り屋久島の原生林を楽しみながら歩くことができる良い道なのだ。
特に原生林歩道の上部にある沢の周辺は雰囲気が良い。 そこらじゅうに苔むした緑色の景色が広がっている。 どちらを向いても目に入るのは緑色。 この緑色というのは不思議なもので見ているだけでも何故か穏やかな気持ちになる。 そうした何かが人間の本能には刻み込まれているのだろうか。
その緑色を覗き込んでみると多種多様な苔が小さな森を作り上げている様子が見て取れる。 苔には詳しくないのだが調べていく中で特に印象に残ったのがこのウツクシハネゴケだ。 逆光に透かして見ると半透明の緑色をした羽根のようにも見える。 まさに美しい羽根のような苔。 ウツクシハネゴケとはなんともストレートな名前を付けたものである。
しかし2月だというのにこれほど青々とした森が見られるというのも不思議なものだ。 温暖で雨の多い屋久島だからこそ生まれた姿なのだろう。 もう少し冬らしさが感じられたら嬉しかったが、それもまた屋久島らしいと思うべきか。
倒木を鷲掴みにするようなヒメシャラの根。 以前訪れた際にも見たのを覚えている。 とても印象的な風景だ。 何としても生き延びてやろうという執念のようなものを感じる。
白谷雲水峡から楠川歩道へ入る。 白谷雲水峡へ続く車道が無かった頃は皆この楠川歩道を歩いて登ったそうだが、今となっては一部の物好きが利用する程度だ。 自分がその物好きの一人だというのは言うまでもない。
楠川歩道に入って少し下りると三本杉という杉がある。
いや、あった。
以前訪れた際には確かに3本並んで立っていたのだが、いつの間にかその内の一本が倒れてしまったようだ。 この三本杉は初めて屋久島を訪れた際に最初に目にした名前付きの杉だった。 当時はまだこの先にさらなる巨木がいくつもあるなど知る由もなかったので、この三本杉ですら非常に見事だと感じたものだ。 そんな思い出深い杉がまたひとつ土へと還っていこうとしている。 これもまた自然の流れの一部でしかないのだが、少々物悲しく感じてしまう。
この楠川歩道は自然林に囲まれた小さな沢沿いに付けられた道だ。 まだ屋久杉の伐採が行われていた頃は切り出した木材を担いでこの道を下りたと聞く。
今日のところはどうやら自分以外に物好きはいないらしく、誰にも会うことはなかった。 聞こえてくるのは沢の水音、木のざわめき、鳥の鳴き声、そして自分の足音、自分の息遣い。
やがて自然林から植林帯へ変わり、その少し先で林道に出た。
林道を下りていくと少しずつ文明の気配が感じられるようになってくる。 民家や畑、電柱等を目にすると「ようやく山から下りてきたんだなぁ」と実感する。 それと同時に「もう山から下りてきてしまったのか」とも感じる。 可能ならばもっと長く山に籠っていたいものだが体力と食料がそれを許さない。
やがて道の先に海が見えた。
そのまま進むと島の外周道路との交差点に出る。 楠川歩道入口の石碑と休憩所がある。 初めて屋久島に来た時は山への入口としたこの地点だが、今回は出口となった。 さすがに歩き疲れたので休憩所で一休みしつつ今日の宿を探す。 素泊まり宿で検索すると宮之浦集落に「やくしま89」という安い民宿を見つけたのでそこへ予約の電話をかけた。
予約の際に「車で迎えに行こうか」と言ってくれたが最後まで歩き通したい旨を伝えて辞退する。 車道を西へ、宮之浦集落を目指す。 まだ2月上旬だが下界は春といっても良いほどの温かさ。 足元に目を向けながら歩くと、地元神奈川では春から初夏ぐらいに見かけるような花がすでにあちこちで花開いていた。
途中のスーパーで買い出しをして民宿やくしま89へ向かう。 買ったのは米、肉、白菜、エノキ、卵、それとキムチ鍋の素。 ずっしりと重い袋をぶら下げて予約した民宿やくしま89の玄関をくぐった。
ひとまずチェックインを済ませると御主人が早めに風呂を沸かしてくれたのでまずはさっぱりとさせてもらうことにする。 なんせ17日ぶりの下界だ。 正直自分でもちょっとこれはと思う程汚れが酷い。 洗い場でこれでもかというぐらい念入りに全身の汚れを擦り落としてから湯船に浸かる。 古い民宿なので小さな湯船だがこの際そんなことはどうでも良い。 まさに天国。 しかも嬉しいことにここのお湯は温泉を引いているという。 思う存分温まらせてもらおう。
風呂を出たら洗えるものを全て洗濯に回す。 自分ではなかなかわからないがきっとすごい臭いになっていることだろう。 その後少し外をぶらぶらしてから再び宿に戻り夕食の準備に取り掛かる。
ここは素泊まり宿だが小さな自炊場を用意してくれている。 山用のコッヘルに先ほど買ってきた豚肉、白菜、エノキと卵をぶち込み、キムチ鍋の素で煮込む。 米も多めに一合半程炊いた。 山にいる間は毎日が餅を入れたうどんとプロテインバーばかりだったので、こんな簡単な料理すらこれ以上ない贅沢に感じられる。 さすがに作りすぎたかとも思っていたが、気付けばぺろりと平らげていた。
他にもバッテリーの充電やらなにやらこまごました作業が残っていたが、やらないとと思いつつも強烈な睡魔に襲われ捗らない。 とりあえず最低限のものだけ済ませて布団に横になるとあっという間に眠りに落ちた。