5日間もの長い間待った甲斐があった。 高塚小屋を出て雪の積もり始めた登山道を宮之浦岳方面へ進み始める。 とりあえずはその途中にある新高塚小屋まで行こう。
周辺の森には霧氷が薄っすらと付き始めていた。 ガスがかかっていて視界がないのは残念だが、そのガスがあるおかげで霧氷も育つというものだ。
1時間半程歩いて新高塚小屋に到着する。 大して歩いていないが、今日は出発がだいぶのんびりだったのでいつの間にか昼を過ぎていた。
高塚小屋から新高塚小屋では標高は100m少々上がる程度だが、思ったより雪が厚みを増してきている。 もう少し進んでおきたい気もするが、しかしこの先はもう宮之浦岳を越えた先まで避難小屋はない。 今日は久々の歩き出しということもあるし、ウォーミングアップだと思ってここで泊ることにしよう。
この新高塚小屋は「新」とついてはいるものの、高塚小屋が少し前に改築された関係で今ではこちらの方が古くなってしまった。 だいぶ年季が入っているがぼろぼろかといえばそれほどでもなく、広さも高塚小屋の3倍ほどあり快適性は高い。 そして冬場に一般の観光客はここまで来ないため、人が居合わせる可能性はかなり低い。
玄関を開けてみると案の定中は無人だった。
靴を脱ぐ前にすぐ近くの水場まで水を汲みに行く。 融かせる雪はいくらでもあるが、水が採れるのであればその方が燃料の節約になる。 幸いそこまで冷え込みがきつくないおかげで水場は凍らずにちょろちょろと流れていた。
小屋に戻ろうとした時、宮之浦岳方面からひとりの男性が歩いて来た。 このタイミングでここを歩いているということはすでに雪の宮之浦岳を越えてきたのだろうか。 見れば杖の代わりに大きなカメラを付けた三脚を突いている。
小屋の前まで来るのを待って声をかけてみた。 聞けば九州本土から屋久島の写真を撮りに来た本業のカメラマンだった。 自然木を主に撮影しているそうで、一度それをテーマにした写真集を出したこともあるという。 山と写真という二つの趣味が見事に合致しているせいで話に花が咲く。 寒さも忘れてしばし玄関前で立ち話が続いた。
しかししばらくするとさすがに寒くなってきたので、これからどうするかと尋ねてみる。 その男性は今日中に高塚小屋まで行く予定だったが、せっかく盛り上がってきたのでここに泊っていくことにすると言った。 その夜は遅くまで話題が尽きず、お互い寝袋に潜り込んだまま暗闇の中で声を交わし続けた。 しかしやがては睡魔に負けて気付けば夢の世界へ旅立っていた。
今日はもう誰にも会わないだろうと思っていたがこんなこともあるものだ。
翌朝の気温は-3度。もう少し冷えてもらいたいが悪くない気温だ。 1月もあっという間に終わりを告げ、今日から2月が始まった。
二人は各々朝食を摂り、手早く出発の準備を整える。 カメラマンの男性は高塚小屋方面へ、自分は宮之浦岳方面へ。 小屋の前で別れの挨拶をしてそれぞれの進む方向へと歩き出した。
夜中にも雪を積み増したようで、昨日カメラマンの男性がつけてきたはずのトレースはすでにほとんど消えていた。 雪はすでに止み、ガスも抜けてはいるものの空には厚い雲がかかっている。 屋久島らしい空模様とも言えるが、できればすっきり晴れて欲しいものだ。
そんな中で冬の森を歩くのもまた良いものだ、と言いたいところなのだがそんな悠長なことも言っていられない。 前回の屋久島でも苦労させられたのだが、ここから先しばらくは非常にやっかいな障害が行く手を阻むのだ。
この辺りは低木が多く、登山道の両側から頭上を覆うように枝を伸ばしている場所がある。 そういった場所では雪の重みで頭上の枝が押し下げられる。 それと同時に地面は雪で底上げされる。 結果として非常に天井の低い木の枝のトンネルが出来上がる。 脇に避けようにも濃い藪に阻まれ、天井の枝は凍り付いて押し退けることもできない。 結局両手両膝を突いて這っていくしかなくなるのだ。 荷物が軽ければ何ということはないのだが、背中にあるのは30㎏を超える重装備。 何度もそれを繰り返している内にじわじわと体力が削られていく。
四苦八苦しながら進んで行くとやがて風通しの良い場所に出た。 いつの間にか雲の中に入っていたのか、気付けば視界はだいぶ白くなっていた。 強い北風が吹き抜けるので少し寒さを感じる。
その強い風に育てられたのだろう、この辺りの霧氷はずいぶんと立派なものが揃っている。 鋭く尖ったような形の霧氷もなんだか珍しい。 しばし景色を楽しんでいると一瞬だけ雲が抜けて坊主岩が見えた。 白く雪を纏った巨大な丸い岩はなかなか良い絵になっている。 しかし写真をと思いカメラに手を伸ばした時にはもう見えなくなっていた。
この辺りにはアセビやシャクナゲの姿が目立つ。 すっかり凍り付いているが、その氷の中に新芽の色が見えていた。 特にアセビは春の花の中でも花期が早いが、それにしてもずいぶんと気の早いことだ。
ちょうど昼頃に森林限界を越えた。
背の高い木がぱったりと姿を消し、一気に視界が開ける。 木が無くなると道がわかりにくくなるが、所々雪から覗いている人工物や道らしき雪面の起伏を頼りにしながら先へ進んで行く。
森林限界の先は雪原が広がっていてかなり歩きやすそうに見える。 さんざん枝に悩まされていたのでこれでだいぶ楽になる。 そう思っていたがそれは大きな誤りだった。
雪原のように見えるのは笹原の上にふんわりと積もった雪の層だ。 雪の厚みはそれなりにあるが、その下は笹の茎に支えられているだけで半ば中空になっている。 下手な場所に体重を載せれば一気に踏み抜いて腰や酷い時は胸まで埋まる。 しかし踏み抜かないこともある。 見た目ではどこに乗ると踏み抜くかはまるでわからない。 その中途半端な状況では常に足が緊張を強いられ無駄に体力を消耗してしまう。
本来の登山道も概ねラインが見えているのでそこを通れば笹がないと思うかもしれない。 しかしこの辺りの登山道は大きくえぐれていて、えげつないほどの吹き溜まりになっている。 胸まであるラッセルを延々と続けるような状態になるので、それはそれで体力がもたない。
どこを通っても地獄。
だんだんガスも晴れてきて行く先に宮之浦岳が見え隠れし始めるが、一向にそれが近付いてくる気がしない。
そんな折、ガスが一時綺麗に流れ去り青空が広がった。
右手には永田岳の特徴的な稜線がはっきりと見える。 あの山にも登ってみたいとずっと思っているのだが、なかなかそのチャンスに恵まれない。 今回もあわよくばと思っていたが、この状況ではとても寄り道できる気がしない。
そんな景色も束の間、少しすると再び濃いガスに巻かれてしまった。
真っ白な風景の中をそれでも歩き続けるが、本格的に体力が尽きてきた。 先が見えないので宮之浦岳までどのくらい距離があるのかもわからない。 不安も強くなり精神的に追い詰められてくる。 動ける時間はどんどん短くなり、10m、20m歩いては立ち止まって息を整える、そんな状態に陥っていた。
もう限界だ。
次にテントを張れそうな場所を見つけたらそこでビバークしよう。 そう決めてからもなかなか場所が見つからず1時間以上は歩いたか。 ようやくテントを張れそうな場所を見つけた時にはもはや体が限界を超えていた。 動こうとしない体を無理矢理動かして雪を掘り、テントを立て、そのまま倒れ込むように中へ潜り込んだ。
寝袋に包まれた体はもはやわずかな身じろぎすら拒否するかのようで鉛の如く重かった。 そのまま寝てしまいたいという衝動に駆られるが、その前に無理してでも食事と水分を摂っておかなければならない。 いかに冬山と言えどもこれだけ歩けば気付かない内に大量の水分を失っているものだ。 補給を怠ると寝ている間に脱水症状が進行して行動不能に陥ることがある。 実際に一度それで行動不能になったことがあるが、あれは地獄の苦しみだった。 あれは暖かい時期だったからまだ助かったが、この環境下で行動不能になったら下手したら死んでしまう。
ほんの少しだけ体を横たえて休み、わずかに回復した体力を振り絞って食事を摂った。 それから改めて寝袋に潜り込み眠ろうとするのだがなかなか眠ることができない。 極度の疲労で神経がおかしくなっているのだろう。 あまりにも疲労が濃いと逆に眠れなくなることがあると聞いたこともあるが、それを身をもって体験したくはなかった。
そのままごろごろとしていたらいつの間にか外は真っ暗になっていた。 そういえばガスはどうなったかなと気になりテントの入口から外を覗く。 いつの間に晴れたのだろうか。 あんなに濃かったガスが綺麗さっぱりなくなり、快晴の空に満天の星が広がっていた。
これは撮りに行くしかない。
でも眠い。だるい。体が重い。動きたくない。
でも撮りたい。撮らないと後悔するに違いない。
寝袋の中でしばし葛藤した後、これでもかというぐらい気合を入れてなんとか体を起こす。 食事と休憩のおかげで多少は体力が回復している。 かなりだるいが少し撮影に出るぐらいならなんとかなるだろう。
テントから這い出すと程よい月明かりが周囲を照らしていた。 目の前には宮之浦岳の山頂とその上に浮かぶ冬の大三角、そしてオリオン座が見える。 宮之浦岳は近すぎて今一つ絵にならないので永田岳が見える場所まで行ってみることにした。 ゆっくりと10分程歩いて永田岳が良く見えるポイントに出る。
なんだろう、この素晴らしい光景は。
月明かりのおかげで肉眼でも永田岳の姿が見て取れる。 その上にはペガススの大四辺形と、ひと際明るい金星の輝き。 時折薄い雲が山肌を撫でていく。 疲労のことなどすっかり忘れて夢中で撮影を繰り返した。 1時間程経った頃、急速に湧き出した雲が辺りを覆い、再び何も見えなくなってしまった。
先程撮りに出ようか迷った時にぐだぐだとしていたらこの景色は見られなかっただろう。 それ以前に今日力尽きてビバークしなければこの景色に出会うこともなかった。 怪我の功名でもあり、気合と根性の産物でもある。 素晴らしい光景というものはいつどこで出会うか本当にわからないものだ。
翌朝、少し寒くて目が覚める。 テント内は-6度。 だいぶ冬らしい気温になってきたか。
目覚めた時には曇っていた空だが、出発の準備をしていると青空が覗き始めた。 手早くテントを撤収して宮之浦岳の山頂目指し登り始める。
1時間半程かかって山頂直下の大岩へ出る。 コースタイムでは30分程の距離なのだがかなり時間がかかってしまった。 昨夜は睡眠を長めに取ったものの、疲労が抜けきらなかったようだ。 どうにも足が重い。
振り返ると永田岳の姿が見えた。 少し雲が被り気味だが、視界は開けており上空には青空が広がっている。 山頂にはさらに素晴らしい景色が広がっているに違いない。 そう確信して残り僅かな距離を登り詰める。
しかし山頂に辿り着く直前、再び湧き出したガスに飲み込まれてしまう。 薄っすら景色は見えているものの、期待が大きかっただけに落胆もまた大きい。 ここで360度のパノラマが綺麗に広がっていればさぞかし感動的だったのだろうが、なかなかうまくいかないものだ。
自然相手の事なので仕方ないとは思いつつ、だからこそまた晴れるかもと思いしばらく待ってみる。 だが残念ながらその気配はなく、やがて諦めて先へ進むことにした。
北側から登った宮之浦岳の山頂をそのまま乗り越えて南側へ下る。
正面には栗生岳。 その奥に翁岳や安房岳も見えている。 それらの山頂付近には人の背丈よりはるかに大きな巨岩がいくつも鎮座している。 隆起と侵食によって作り上げられた風景なのだろうが、なんとも不思議なものだ。 栗生岳の手前に見えるジャガイモを厚くスライスしたような岩など、一体何がどうしたらそんなものが出来上がるのだろうか。
しばらく進むと道の脇に遭難の碑が立てられていた。 後で調べてみたところ、これは昭和中期の冬山登山中に遭難死した人のものらしい。 こうした碑はあちこちの山で見かけるが、その度に山のリスクを再認識させられる。 どんな簡単な山でも予想外の事態や判断の誤りにより人は簡単に命を落とす。 そうなればそこで全てが終わりだ。 その先にはもう何も無い。
いくら山が好きだとは言ってもさすがにまだ山に骨を埋めたいとは思えない。 こうした碑を見るたび改めて気を引き締められる。
しばらくは見晴らしの良い快適な登山道が続いたが、やがて標高が下がると再び樹林帯へと入っていった。 いつの間にか気温も上がり、冬山とは思えない暖かさで雪が見る見る解けていく。 頭上の枝からはべちゃべちゃになった雪が頻繁に落ちてくるようになった。 少しぐらい我慢すればいいかと思っている内に全身はびしょ濡れになってしまう。 さっさとレインウェアを着ておけばよかったものを、どうしてその少しの手間がかけられないのだろうか。
そうして解けた雪は小さな沢となり花之江河へと注いでいた。 高層湿原で有名だという花之江河だが、冬の今は真っ白なただの雪原だ。 春から夏ぐらいに来れば湿原性の植物などが見られるのかもしれない。 そんな時期にも来てみたいものだ。
時計を見ると今朝出発してからすでに7時間が経過していた。 少し時間がかかりすぎているか。 目標の石塚小屋まではコースタイムで1時間程。 もうひと頑張りだ。
昨日の疲労を引きずっていることもあり足がなかなか進まないが、幸いなことに花之江河から石塚小屋まではトレースが付いていて歩きやすくなっていた。 おかげで無事に石塚小屋まで辿り着くことができた。 トレースの主はすでに小屋を去ったようで中は無人。 ゆったりと広く使わせてもらうことにする。
ひとまずびしょ濡れになった衣類を全て着替えてしっかりと絞る。 この湿度ではろくに乾かないだろうが一応濡れたものは吊るしておいた。
翌朝目が覚めると外からしとしとと雨の音が聞こえた。 単純に雨の中は歩きたくないし、それに昨日びしょ濡れになった衣類もなんとかしないといけない。 何よりここ2日間の疲労が想像以上に濃い。 今日は一日ごろごろすることにしよう。 それにしてもここしばらくでずいぶん体力が落ちた気がする。 ほんの2~3年前はもっとガンガン歩けたものだが、ちょっと良くない。 なんとかしないといけないな。
さらに翌日、雨は止んだが先に進むのは後回しにして少し散歩に出た。 地図を見ると少し手前の谷沿いに天皇杉と鏡明水という文字が書かれているのでそれを探しに行ってみることにしたのだ。
元々は小杉谷集落とを結ぶ道があったようだが、今では廃道となっている。 道はある程度残っているものの、倒木などは放置され道はかなり荒れていた。 所々に残るテープを目印にしながら慎重に下っていく。
地図の等高線を見る限り天皇杉があるのは峠からの標高200m程下った辺り。 直線距離にしても700~800mといったところか。 30~40分もあれば辿り着けるだろうと思っていたのだが、1時間以上下りて行ってもそれらしいものが見当たらない。 もう地図のポイントは確実に過ぎているはずだ。 道からはずれた場所にあるのか、あるいはもう倒れて見られなくなってしまったのか。 なんにせよあまり下りすぎると登り返しが大変なので程々の所で諦めて戻ることにした。
昼には小屋に戻ることができたが、午後はそのまま体を休めることに専念。 翌日改めてヤクスギランド方面へ向かうことにした。