屋久島灯台を出て西部林道に戻る。
木の隙間からは先程までいた屋久島灯台が見えている。 次の集落は約20㎞先の栗生集落だ。 地図を見る限りそこまでの間はほぼ何もない。 だが何もないということは自然が残されているということだ。
天気は朝から芳しくない。 弱い雨が断続的に続いていた。 時折青空が覗くこともあるが長続きはせず少しするとすぐにまた雨が落ちてくる。
歩き始めて少ししたところで何か背中に違和感を覚えた。 ザックを下ろしてみるとその背面が何かぐにゃりと歪んでいるように見える。 まさかまたか。 そう思って確認すると案の定ザックの背面フレームが折れていた。
このザックのフレームが折れるのは2度目だ。 115リットルもの超大型ザックにしては軽量で使いやすいのだが、いかんせん耐久力が低すぎる。 バックル類も軽量化しすぎて弱く割れやすい。 用途を選べば良いかもしれないが、自分のように重量物を入れてハードに使うタイプにはどうも向かないようだ。
折れたままでも背負えなくはないが無駄に体が疲れるのでなんとかしたい。 少し悩んでふと思い付いた。 テントの補修ポールでなんとかならないか。 折れたところに補修ポールを通してテーピングテープでぐるぐる巻きにしてみた。 背負ってみるとさほど違和感がない。 取り合えずなんとかなりそうだ。
再び歩き始めて少し行くと西部林道の案内板があった。 屋久島の中で世界遺産に指定されているのは大半が山岳エリアだが、ここ西部林道は島の外周部で唯一世界遺産に含まれている。 恐らく何らかの理由でこの西部だけは開発の手が入らなかったのだろう。 周辺にある人工物と言えば道路と屋久島灯台ぐらいのものだ。 それらを除いた森林部分は自然そのままの姿が残されている。
思うにこの辺りが開発されなかったのは平野部がまったくないからではないか。 屋久島の地形図を見るとこの西部林道周辺以外では概ね海沿いに平野部が広がっている。 北西部も平野は少ないが、川の河口付近だけは少し開けているのでそこへ集落が作られている。 しかしこの西部林道周辺にはそういった小規模な平野部すらないのだ。
そういった環境なので当然野生動物も多い。 特に多いのがヤクザルとヤクシカだ。 屋久島では「ヒト2万、サル2万、シカ2万」と言われるそうで、この西部林道では嫌でも彼らを見かけることになる。 ヤクザルの方が遭遇率が高い印象で、今日は天気が悪く気温も低いせいか身を寄せ合って暖を取る姿がよく見られた。
ヤクシカも多いがヤクザルよりも警戒心が強いようでこちらの視界に入る前に逃げられることが多かった。 しかしまだ幼いヤクシカは好奇心も強いようで距離を縮めようと試みるものもいた。 どこまで寄ってくるかなとしばらく様子を見たが、程々に近寄ってきた後に逃げて行ってしまった。 そんな野生動物達を見るためだろう観光客らしき車も何台か見かけたが、サルやシカに遭遇した回数の方がよっぽど多かった。
屋久島を歩いているとちょくちょくこの大きな葉っぱを見かける。 サトイモに似ているなと思ったらまさにサトイモ科の植物だった。 クワズイモと言うらしい。 サトイモの仲間だからと言って食べられるわけではなく、食わず芋の名の通り食べられないそうだ。 しかし葉っぱは見応えがあるので観葉植物として利用されることもあるという。
降ったり止んだりの天気は相変わらずだが、だんだん雨脚が強くなってきた気がする。 そんな中をだいぶ長い事歩いて瀬切川までやってきた。 屋久島の急峻な山並みを縫うように深い谷が刻まれている。 もう河口もすぐそこだというのに小さな滝が連続している。 奥に見える赤い橋はなんだろうか。 眼下の滝も近寄って見たらもっと迫力があるだろう。 しかし疲れた足で雨の中そちらへ足を向ける元気が湧かない。 歩くのは好きだしやめるつもりもないが、もう少し余裕をもって寄り道できるぐらいの体力が欲しいものだ。
この辺りまで来ると遠くに栗生集落付近の岬が見えてくる。 まだ距離はだいぶあるだろうがとりあえず目的地が見えてきたことに安堵する。
西部林道の終点付近にある大川の滝へ立ち寄る。 大川と書いて「おおこ」と読むこの滝は日本の滝百選に選ばれている。 以前同じ屋久島の千尋の滝を見に行った際に是非この大川の滝も見に行くべきだと言われたことがある。 結局その時は移動の都合で見に来ることができなかったので実際にこの目で見るのは初めてだ。
駐車場から短い遊歩道を奥まで進むと大岩壁を流れ落ちる大迫力の滝が現れた。 雨で水量が増しているのもあるだろうが想像の倍以上立派な滝だった。 落差は88mあるそうだ。 落差だけではなく幅もかなり広いのでなおさら迫力がある。 屋久島でしばしば遭遇するスコールのような雨が降ったならばこの滝は更に迫力を増すだろう。 そんなシーンもまた見てみたいものだ。
道に戻るとすぐ近くに大川湧水という水場。 大川の滝が日本の滝百選ならこちらの大川湧水は名水百選だ。 厳密に言えば名水百選に選ばれているのは「屋久島宮之浦岳流水」とのことなので、この大川湧水に限られるわけではないようだが、細かいことはいいだろう。 ちょうど喉が渇いていたのでキンキンに冷えたその水を手ですくって喉に流し込んだ。
長い西部林道が終わり、栗生集落に差し掛かる。 集落手前の岬へ入っていくと屋久島青少年旅行村があった。 情報ではキャンプ場があるとのことだが予想を裏切らず冬期休業中。 もはや慣れたものだ。 冬の屋久島でレジャー関係の施設はほぼ営業していないと思って置いた方が良い。
さらにその奥へ進むと海岸近くに東屋を見つけたのでそこで夜を明かすことにする。
相変わらず断続的に続く雨の合間に海岸まで足を運んでみる。 ちょうど潮が引いていて浅瀬が半ば顔を出していた。
浅瀬に取り残された水に夕暮れの曇り空が映る。 海の向こうに見えるのは口永良部島だ。 口永良部島で2015年に発生した噴火の際、全島民が屋久島へ避難したというニュースは今でも良く覚えている。 この口永良部島は世界遺産にこそなっていないものの島全体が屋久島国立公園に含まれているらしい。 火山島なので屋久島とはまた違った自然が広がっているだろうし、なかなかに興味深い。 いつか訪れてみたいものだ。
翌朝目覚めると雨が降っていた。 ちょっと出発する気にならない感じの降り方だったのでそのまま東屋で様子を見る。 特にすることもないので撮った写真を整理したり新しいウェブサイトの構想を練ったり、またそれに必要な技術情報を調べたりして暇を潰す。 その日は結局雨が止むことはなく一日中東屋で過ごすことになった。
更に翌朝、未だ雨が降り続いている。 しかも昨日よりも更に雨脚が強い。 雷の音も聞こえている。 天気予報によれば今日が雨のピークで明日には落ち着くらしい。 7時半頃になると町内放送でフェリーの欠航が告げられた。 海もだいぶ荒れているようだ。 そういえば今日は屋久島でサイクリングイベントがあると聞いた気がする。 雨天決行のイベントも多いがこの天気で開催したらかなり過酷なイベントとなることだろう。
結局今日もそのまま屋根の下の狭い空間で雨をしのぐ。 モバイルバッテリーの残量もほとんどなくなってきた。 緊急用の電源は念のため残しておきたいのでそろそろスマホを触るのもやめなければならないか。
その更に翌朝、雨は止まなかったもののだいぶ弱くなっていた。 止むまで待ちたいところでもあるが出発しなければならない事情がある。 食料が尽きたのだ。 宮之浦集落を出発する際に用意した5日分の食料は今日の朝食で底をついた。 これ以上停滞しても食べるものがない。 仕方がないので食料を調達できる店まで頑張って歩くことにした。
栗生川を渡り栗生神社へお参りしてから集落を後にした。
栗生集落から少し行くと中間(なかま)集落がある。
地図を見ると集落へ少し入った辺りに「中間ガジュマル」という名前が書かれている。 地図に名前が載るぐらいなので割と名の知れたガジュマルなのかもしれないが正直に言えば大して期待していなかった。 雨も降り続いているし、そのまま素通りしてもいいけどなんだか少しだけ気になるな、といった程度の軽い気持ちで足を運んだ。
するとどうか。 想像を超えた奇妙なガジュマルに出迎えられた。 道を跨いで門のようになっている巨大なガジュマルだ。 気根が網目のように複雑に結び付いて土台を成し、上部に広がる大きな枝を支えている。 一本一本の気根は一見頼りなくも見えるが実際に触れてみるとがっしりと堅くて微動だにしない。 樹齢は300年と書かれている。
裏側からの眺めも壮観だ。 実際に見もせずに大したことないだろうと半ば決めつけていたが考えを改めなければならない。 これは見事なものだ。
中間ガジュマルをひとしきり楽しんでから先へ進む。 すぐ横の川を越えるとその先にタンカンの無人販売所があった。 タンカンは屋久島以南で作られている柑橘なので聞き慣れない人も多いかと思う。 実際自分も前回屋久島を訪れた際に一度食べたことがあるだけだ。 一袋9個入で100円と格安だったので久しぶりにと思い一袋買っていくことにする。 さっそく袋から2つ取り出し、ひとつはポケットへ、もうひとつを食べながら先へ進んでいく。
島の南部に入ると北部に比べて平野部が広くなっている。 そのため北部のように集落間がひたすら森の中ということは少なく、あちこちが農地として利用されている。 その関係で北部のように集落とそれ以外の境界ははっきりしておらず、広い範囲に薄く集落が広がっている印象だ。
目的地の尾之間集落までは湯泊、平内、小島といった集落を通る。
湯泊や平内は海岸にある露天温泉が有名なので知っている人もいるかもしれない。 ひとっ風呂浴びていきたいのはやまやまだが、これらの温泉は少々温度が低い。 いかに温暖な屋久島と言えども冬に入るのは少し勇気がいる。 もっと暖かい時期に、そしてできれば晴れている日に入るのが良いだろう。
さらにそこから進むと個人的にお気に入りの小島神社がある。 ちょうどその神社に着こうかという頃に雨が一段と勢いを増した。 慌てて拝殿の軒下に逃げ込む。 雨は一気に土砂降りへ変わり、しばらくすると今度は急速に収まっていった。
この神社には境内に特徴的な形をした木が立っている。 アコウの木だろうか。 三又に広がった根元はがっしりと大地を掴んでいる。 自然にできた形なのか、あるいは長い年月をかけて手を加えてきたものなのか。 いずれにしても見事な一本だ。 その根元には古い石の祠が祀られている。 昔から大切にされてきた木に違いない。
そこからまたしばらく歩くと無事尾之間(おのあいだ)集落へ辿り着いた。 尾之間集落は島の南部で最も大きい集落だ。 ここにはAコープがあるので食材の調達には不便しない。 今回は生ラーメンと別売りのスープ、白菜、卵を買った。 日持ちはしないがお手軽かつ美味しいので町で買い出しできる時には良くやる組み合わせだ。
後は寝る場所だが尾之間は住宅地が広いので探すのには少々苦労した。 結局集落の外れの適当な空き地を見つけるまでかなり長く歩くこととなった。