尾之間集落から安房方面へ向かう途中で少し寄り道をしていく。 行き先は千尋の滝とモッチョム岳だ。 千尋の滝は先日訪れた大川の滝のように日本の滝百選に入っているわけではないのだが壮大で見応えのある滝だ。 モッチョム岳はその千尋の滝の近くから登山道が延びている山で、知ってはいたものの登ったことはなく今回が初挑戦となる。
まずは集落から山間部へ入り長い坂を上って千尋の滝の駐車場へ。 この滝は屋久島でもかなりメジャーな観光地なのだが何故か路線バスは出ていない。 ツアー等に参加すれば車で運んでもらえるが、そうでなければ自力で行くしかない。 今回は歩きにこだわっているのでそもそも車を使う選択肢はないが、また来たくなった時に毎度歩くのは少々骨が折れる。 もちろんタクシーを使うという手もあるわけだが懐事情を考えると難しいものがある。
駐車場の隅に売店があったので覗きに行くと、店員に「さっき歩いてた人じゃないか」と言われた。 通勤途中に目撃されていたようだ。 売店のすぐ先には千尋嶽神社。 さらに奥に進むと千尋の滝展望台だ。
千尋の滝は「せんぴろのたき」と読む。 某映画の千尋と同じ字だが「ちひろ」ではない。 この滝の見所は滝そのものというより左手に見える巨大な岩壁だ。 これは花崗岩の一枚岩なのだという。 一尋というのは人が両手を広げた時の幅を表すそうで、それが千尋、つまり千人が両手を広げたぐらいの広さがあるという意味で付けられた名前だそうだ。
写真の下ギリギリの所に橋があるのがわかるだろうか。 以前はこの展望台から下りていく道があり、あの橋の所まで行って近くで滝を眺めることができたらしい。 しかし下の道から川に下りて流された人がいた関係で通行止めになったと聞かされた。 こう言ってはなんだがそんな理由で通行止めにするというのもどうなのだろうか。 道が崩れていて川に落ちるような場所があるならともかく、わざわざ道から外れて遊んでいたのならそれはその人の責任だろう。 川に下りるのを禁止する程度で充分だろうにわざわざ道ごと全て通行止めにする意味はなんなのだろうか。
千尋の滝展望台から戻り今度はモッチョム岳に登りに行く。 登山口は展望台入口のすぐ横だ。 千尋の滝にはそれなりに人が訪れていたがこちらの登山道に入るとぱったりと人の姿を見なくなった。
最初はなだらかで歩きやすいかなと思っていたら少しして激しい急登に変わった。 急斜面をまっすぐ上に登っていくような道だ。 木や岩を掴みながらひいひい言いつつ登っていくと小さな沢の流れるなだらかな場所に出た。 自然林に囲まれた空間に沢の音が静かに響く。
沢の対岸に渡ると再び傾斜が増し、やがて万代杉に行き着いた。 腰を反らしたような姿が特徴的だ。 狭い尾根にあるため後ろにあまり下がれず全体を写真に入れるのに苦労した。
標高800m辺りからは残雪が出てくるようになった。 アイゼンを着けるほどではないものの露出した木の根も多く非常に滑りやすい。 地形図で979mと書かれた小ピークの脇を抜けて一度南へ下る。 そこから登り返せばモッチョム岳だ。 ふと気付いたのだが地形図にモッチョム岳は940mと書かれている。 となるとこの979mの小ピークはモッチョム岳の一部ではなく隣の山という扱いなのだろうか。
それはともかくとして、その小ピークからモッチョム岳の間がなかなかタフな道だった。 地形図では尾根の脇をただ緩やかに下っていくだけに見えるが、実際には細かいアップダウンの繰り返しだ。 しかもそのひとつひとつが微妙に険しくロープを垂らしてあるところも多い。
苦戦しながら進んでいくと細い尾根の上に出た。 奥に見える大きな岩の頭がモッチョム岳の山頂だろう。 その岩の目の前まで行くと上から黒いロープが垂らしてあった。 かなり傾斜が強いのでやや反り気味になって足の裏をしっかりと岩に押し付けながら登る。
その岩の上がそのまま山頂だった。 看板にはモッチョム岳と並んで本富岳と書かれている。 漢字ではそのような字を当てるらしい。
山頂には360度の展望が広がっていた。
南側には広大な太平洋とその水平線。 その手前には尾之間や原の集落が見えている。 東西に長く海岸線が延び、その周辺には畑がかなり多いことが良くわかる。 北部と違い南部は平野部が少し広いので畑を作りやすいのだろう。 気候も南部の方が晴れが多いと聞いたことがあるのでその影響もありそうだ。
背後を振り返ると歩いてきた尾根が見える。 その周辺には千尋の滝にあったような巨大な岩壁がいくつも見える。 あれらも同様に一枚岩なのだろうか。
雲の隙間から時折光が漏れる。 風も弱く温かいのでしばらく山頂からの絶景を眺めて過ごした。
地図を見るとモッチョム岳の登山道上には万代杉とモッチョム太郎という2つの杉の名前が書かれている。 万代杉は登山道脇にあったのですぐにわかったが、モッチョム太郎の方は探しながら来たにも関わらず結局場所がわからなかった。 どこにあったのだろうと思いながら下っている途中、逆に登ってきた人がいたので尋ねてみた。 すると下り方向で見れば左手に小さな分岐があるので気を付けて見ていればわかるはずと教えてくれた。
その通りに探しながら下りていくと確かに分岐があり、その先にモッチョム太郎はいた。 幹には多様な苔や草が着生している。 周囲の木から枝が張ってきているので上の方の様子は良く見えなかったがなかなかに立派な木だ。 聞けばこのモッチョム太郎とは別にモッチョム花子という杉もあるという。 しかし花子は廃道になった古い登山道の方にあり現在は見ることができないようだ。
登山口まで戻り再び千尋の滝を見に行く。
千尋の滝を見に来た人の大半は駐車場の先から千尋嶽神社の奥にある展望台へ足を運ぶ。 実はもうひとつ展望台があるのだが、そのことを知らない人は多いのではないか。 駐車場の脇に展望台と書かれた小さな看板に示された道がある。 そこから少し登っていくともうひとつの展望台に出るのだ。 作りからしてかなり古いもののように見えるがここからも千尋の滝が良く見える。
確かにこちらからでは滝より下流の部分は斜面に隠れて見ることができない。 その代わり右手の岩壁が良く見えるのもあるし、千尋の滝の上にある小さな滝もこちらの方が少しだけ良く見える。 ついでに言えばあまり人が来ないので静かに景色を眺めることができる。
そのままそこで夜を明かし翌朝まだ暗い内に起き出した。 月がだいぶ明るいことに気付く。 ここしばらく天気が悪い日が続いたのでまともに月の光を感じたのは久しぶりだ。 雲の隙間から漏れた光が太平洋を照らしているのもまた美しい。
千尋の滝の方を眺めると遠くから滝の落ちる音が小さく聞こえてくる。 さすがに月明りだけでは滝の姿まで見ることはできなかったものの、試しにカメラで撮影してみたら薄っすらと白い水の流れが写し出された。
夜が明ける頃に千尋の滝を後にする。
車道をしばらく下ると竜神の滝が見える橋に差し掛かる。 千尋の滝のある鯛ノ川の下流にある滝だ。 森の中にぽっかりと滝壺のある空間があり、そこへ勢いよく流れ落ちている。
滝壺まで行けたらもっと迫力がありそうなのだが、整備された遊歩道のようなものは見つからなかった。 橋の脇から川原に下りることはできそうではあるが、水に浸からずに行ける雰囲気ではないので今回は諦めることにした。
何気なく道を歩いているだけでも様々な植物が目に入る。 亜熱帯性のものが多いせいだろう、馴染みのないものが目立つ。 南国の代表格であるハイビスカスもあちこちで見かけた。 平野部を動いているともはや欠片も冬を感じない。
道中の交差点に「猿川ガジュマル」と書かれた看板を見かけた。 そういえば地図にそんな名前が書かれていた気がする。 こう言っては申し訳ないがいかにも寂れた雰囲気の看板で、人もあまり入っているように見えない。 大したことないのかなと思いつつも、先日の中間ガジュマルの事を思い出す。 もしかしたらまた予想外に見事なものを見られるかもしれない。
看板に従って分岐を入っていくと狭い駐車スペースの隅にくたびれた案内板があった。 車は一台もなく他には誰もいないようだ。 鬱蒼とした森の中に細い道が付けられている。 数分程歩くとガジュマルらしき木が見えてきた。
近付くにつれその全容が見えてくるが、なんとも異様な光景だった。 気根を伸ばすガジュマルは一般的な木からすれば独特な雰囲気を持つが、ここにあるガジュマルはその中でも群を抜いている。 多くのガジュマルは気根が多くとも主となる幹は基本的にはっきりとわかる。 しかしこのガジュマルはもはやどれが幹でどれが気根なのかわからない。 そもそも1本の木なのか複数の木が混ざり合っているのかもよくわからない。
まさに無秩序の極み。
実に面白い風景に出会うことができた。 やはり何事も実際に自分の眼で見てみないとわからないものだ。
再び県道に戻り安房方面へ進むと安房川の少し手前で盛久神社という看板が目に入る。 気になって立ち寄ってみると平家の武将である平盛久を祀っている神社だった。 とはいえ歴史は大の苦手科目なのでどんな武将なのかもよくわからず、むしろ境内にあるアコウの方に興味を惹かれた。 それは夫婦アコウと呼ばれ、2本のアコウが上部で融合した面白い姿をしている。 縁結びの御利益がありそうだ。
元の道に戻ると今度はパンという文字が目に入る。 パン好きの自分にとっては見逃せないものだ。 ちょうど昼時でもあったし中にイートインスペースもあるようなので休憩がてら食べに入る。
そのShiiba(しいば)という店はパン屋とコンビニを合体させたような作りになっていた。 じっくり悩んでコロッケパン、カレーパン、サツマイモデニッシュを選択。 普段はパン屋を見かけると割と立ち寄って行くのだが、今回の屋久島では一度もその機会がなかった。 ずいぶんと久しぶりなパン屋の味をじっくりと楽しんだ。
当初は安房港近くにあるキャンプ場で泊る予定だったのだが、いざ行ってみると少し前に閉鎖されたという。 他にどこかないかと探しているとだいぶ先だが屋久島空港近くにゲストハウスを見つけたのでそこまで歩くことにする。
安房を抜けた先は船行集落。 例によって集落の入口に大きな案内板があった。 少し興味を惹かれたので集落の方へ入ってみる。
少し先の交差点には見事なアコウの木とその木陰に置かれたベンチ。 屋久島では様々なところでこうした木陰のベンチを見かける。 近くで見上げると多種多様な植物が共生している様子が見て取れる。 この木そのものがひとつの森を作り上げているかのようだ。
その交差点を曲がって少し進むと船行神社がある。 がっしりとした印象の鳥居をくぐると境内にある杉の大木が目に入る。 境内の整備をする際に伐採した杉の中には樹齢600年を超えるものもあったと書かれている。 現在残っている杉も里にある杉としては最大級のものだそうだ。 神社の境内だからというのもあるだろうが、よくこれだけ立派な杉が切られずに残ったものだ。 ここに限らないが、神社があったからこそ守られた森や木というものは結構多いのではないだろうか。
船行集落を抜けて屋久島空港近くまで歩く。 この近くにある「ゲストハウスとまり木」が今日の宿だ。
このゲストハウスにはテントサイトが併設されているのが嬉しいところ。 もちろん普通の部屋に泊ることおもできるが、テントなら格安で利用できる。 自炊場も外にあるのでテントとの行き来が便利で良い。 徒歩10分程度の所に品揃えの良いドラッグストアがあるので買い出しも不便しない。
テントを立てたらさっそく買い出しに行き、少しだけ贅沢な夕食を楽しんだ。